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法華三部経の要点 ◇◇51
立正佼成会会長 庭野日敬

天人でさえ修行が大切なのだ

人間界と天上界との交流

 化城諭品には天上界における出来事が、まるで目に見えるように描写されています。天上界とは、薬草諭品(本紙41回)のところでも述べましたように、仏法を聞いて実践した人が死後就くことのできる「善処」です。お釈迦さまの言行を比較的忠実に伝えているという『スッタニパータ』四〇四にもこう説かれています。「法(に従って得た)財を以て父母を養え。正しい商売を行え。つとめ励んでこのように暮している在家者は、(死後に)『みずから光を放つ』という名の神々のもと(天上界=六欲天の総称)に生まれるであろう」 (中村元先生訳岩波文庫』による)。
 つまり仏教は、たんに現世のみを対象にした倫理・道徳の教えにとどまらず、「来世までをも念頭において正しい生活をせよ」という教えにほかならないのです。ですから、「輪廻」ということを信じないかぎり、仏教(とくに法華経)の信仰は成り立たないのです。

安楽な暮らしをお返しする

 さて、化城諭品には、大通智勝仏が悟りを開かれると、人間界ばかりでなく、もろもろの天上界の宮殿までが輝き出した、とあります。この宮殿というのは、天上界における安楽な暮らしを意味しているのです。天人は何の苦しみも悩みもなく、安らかに暮らしています。しかし、そういう暮らしが永久に続くとなれば、いったいどんな気持ちになるでしょうか。よほど怠け好きなものでないかぎり、退屈で退屈でたまらなくなるはずです。
 そこへ、何か知らぬが新しい光が差してきた。新鮮で、はつらつたる力のみなぎった不思議な光明です。天人たちは寄り集まって「いったいこれはどうしたわけだろう」と話し合いました。その結果「どうやら地上にすばらしい仏さまが出現されたに違いない」という結論に達しました。
 そこで地上をあまねく探してみると、大通智勝仏が菩提樹の下で大光明を発していらっしゃるのが見えてきました。天人たちは自分の住んでいる宮殿ごと虚空を飛んで行って大通智勝仏のみもとに参り「この宮殿を世尊に奉ります。どうぞお受けくださいませ。その功徳によってわたくしどもも仏道を成じ、またその功徳を一切衆生に及ぼし、みんな一緒に仏道を成じたいと願っております。どうかわたくしどもにも仏さまの教えを、わかりやすくお説きくださいませ」とお願いしたのです。
 天上界といえども、まだ仏界ではありません。そこでの安楽な生活に慣れきって本質的な修行を怠っておれば下界へ墜落する運命が待っていることを、お釈迦迦さまは「天人の五衰」(本稿41回参照)ということで教えられています。 
 では、どのような修行をしなければならないのか。自らも菩提心(仏の悟りを得たいという志)を起こし、その修行のために他の人にも菩提心を起こさせる努力(菩薩行)をすること、これが随一最高の修行なのです。
化城諭品の天人たちもそのような決意を起こし、仏さまから頂いていた安楽な暮らし(宮殿)を仏さまにお返しして、自ら苦労を求めて衆生教化に献身しようとしているわけです。 
 現実の世界である「娑婆」に生きるわれわれにとっても同じことが言えます。われわれがどんなに物質的に恵まれ、安楽な暮らしをしていても、それにおぼれて酔生夢死することなく、真の「成仏」を求め、その修行のために「他の人びとを同じ仏道へみちびく苦労にチャレンジすること」が最高の生き方なのです。
 仏道修行とはそうした努力に尽きるといっても言い過ぎではないでしょう。ですから、この化城諭品の「願わくは此の功徳を以て 普く一切に及ぼし 我等と衆生と 皆共に仏道を成ぜん(願以此功徳=がんにしくどく・普及於一切=ふぎゅうおいっさい・我等与衆生=がとうよしゅじょう・皆共成仏道=かいぐじょうぶつどう)」は普回向(ふえこう)の偈といって、法華経系の宗派ばかりでなく、日本の各宗どちらでも、仏さまへのお誓いのことばとして唱えているのであります。


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