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法華三部経の要点 ◇◇12
立正佼成会会長 庭野日敬

教えは実践にこそ生きる

究極の慈悲心とは

 それでは無量義経の十功徳品に移りましょう。この品の第一の要点は、大荘厳菩薩が「この教えはいったいどこから出てきたものでございましょうか。そしてどういう目的へ向かって行くものでございましょうか。また、この教えの住みつく所はどこでございましょうか」とお尋ねしたのに対して、お釈迦さまは、
 「善男子、是(こ)の経は、本(もと)諸仏の室宅の中より来り、去つて一切衆生の発菩提心に至り、諸の菩薩所行の処に住す」
 とお答えになっているところです。
 これは、無量義経の「本質」と「目的」と「目的の完成」とを短い文句の中に言い尽くされた重大なポイントであります。
 「本諸仏の室宅の中より来り」というのは、この教えは諸仏のお住まいになっているお部屋から出たものであるというのですから、つまり諸仏の大慈悲心からほとばしり出たものであるということです。
 慈悲心にも広狭深浅いろいろあります。例えば、飢えに苦しんでいる開発途上国の人々に食糧を送ってあげるのも慈悲心です。その人たちに農業技術を教え、食糧自給の道を開いてあげるのはより深い慈悲心です。さらに、海外協力隊員が実践しているように、現地の人々と生活を共にしながら「自立の精神」を育てていこうとするのはもっと広大な慈悲心といえましょう。
 身近な例をあげれば、子供が転んだとき「かわいそうに……」と助け起こすのは小さな慈悲心であり、「坊やは強いからひとりで立てるよ」と励まして手を貸さないのは大きい慈悲心ともいえましょう。
 では仏さまの大慈悲心とはどんなものかといいますと、「この世のあらゆる存在をあるがままに生かしてやりたい」というみ心であり、これが究極の慈悲心なのです。これを現代風に表現しますと、「ありとあらゆる存在に、その本来の存在価値を十分に発揮させたいというのが仏の大慈悲心なのである」ということになります。
 「成仏」という言葉がありますが、その最も広い意味は「それぞれの持つ存在価値と使命を百パーセント完遂する」ということです。これは、人間のみに限らず、あらゆる生物・無生物にも通ずる真実であり、「草木国土悉皆成仏」という言葉がそのことを端的に言い表しています。そして、それこそが無量義経の「本質」であるというわけです。

現実に人を救ってこそ

 次の「一切衆生の発菩提心に至り」ですが、菩提心というのを『仏教語大辞典』で引いてみますと、「さとりを求めて仏道を行おうとする心」とあります。そういう心を起こすのが発菩提心ですから、すべての人々にそのような心を起こさせるのが無量義経の「目的」だというのです。
 次の、この教えはどこに住するかというのは、「この教えは、どこにおれば最も真価を発揮するか」ということです。
 その場所は、お寺の中でもありません。書物の中でもありません。頭脳の中でもありません。人を救うという菩薩行の中にこそそれがあるのだ……と説いてあるのです。現実に人を救わなければ、仏法も絵に描いたモチに過ぎないからです。ですから、菩薩行の実践こそが無量義経の「目的完成」の道だというわけです。
 この三ヵ条はたんに無量義経のみならず、次に説かれる妙法蓮華経の、いやあらゆる大乗仏教典の「本質」と「目的」と「目的の完成」を述べ尽くしたものと知るべきでありましょう。


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