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法華三部経の要点 ◇◇22
立正佼成会会長 庭野日敬

人間には無限の可能性がある

「十如是」の法門の意味

 方便品のもう一つの大きな要点に「十如是」の法門があります。すべてのものごとの本質である平等性と、さまざまな現象として現れる現実の相(すがた)を、ありのままに見通すための法則です。すなわち、「如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等」という十の如是(にょぜ)です。
 後世の学僧たちは、この三十四文字に法華経の哲理が結晶されているとして、これを「略法華」と呼んでいるほど大切な法門です。
 如是の意味にはいろいろな説がありますが、「こうすればこうなる」という解釈がいちばん適切だと思います。ではこの十如是の意味を説明しましょう。
 われわれがすべての事物を見るとき、まず目に入るのはその姿・形です。これを「如是相(そう)」と言います。
 表面の現れであるその「相」を、一歩内面に立ち入って吟味してみますと、そのものの持つ性質というものがあることがわかります。それを「如是性(しょう)」と言います。
 「相」があり「性」があるものには、必ずそのものの主体があります。それを「如是体(たい)」と言います。
 主体を持つすべての存在は必ずそのものにふさわしい力、いわば潜在エネルギーというものを持っています。その力を「如是力(りき)」と言うのです。
 その力(潜在エネルギー)は、機会を得ればはたらきだし、その機会に応じた作用を起こします。それを「如是作(さ)」と言います。
 そして、どのような現象であろうと、それが生ずるのには、必ず原因があります。それを「如是因(いん)」と言います。
 また、その原因も何らかの条件に合わなければ、現実に現象として現れることはありません。その条件を「如是縁(えん)」と言うのです。これが、「如是作」のところで述べた「機会」ということでもあります。
 さて、ある原因がある条件に会えば、それにふさわしい結果が生じます。それを「如是果(か)と言い、その結果があとに残す影響を「如是報(ほう)」と言うのです。
 以上の九つの如是は、初め(本)から終わり(末)まで、つまるところ(究竟して)宇宙の真理である法則のとおりになるということで等しい(等)というのが、最後の「本末究竟等(ほんまつくきょうとう)」ということなのです。
 実に整然とした哲理ではありませんか。

希望と勇気を与える哲理

 この哲理を人間の生き方の上に大きく展開させたのが、天台大師の説いた「一念三千」の法門です。いま説明したように、「十如是」は――この世のあらゆる事物は固定したものではなく、変化・流動させうるものであり、「こうすればこうなる(如是)」という原理に従うものである――ということを説いたものであります。
 ということは、自分の性格や才能などの個性も、自分と関係するさまざまなことがらも、もともと固定したものではなく、自分の心の持ちようにより、努力により、どんなにでも変化させうる可能性を秘めているのだ、ということなのです。この哲理は、われわれに大きな希望と勇気を与えてくれるものです。
 われわれは、ともすれば自分の能力に限界を感じ、一種のあきらめをいだきがちです。それは自分がつくった限界であり、自らが立てた壁であって、ほんとうの自分はそんな壁に閉じこめられたものではなく、上へ向かってもどこまでものぼって行ける、横へ向かってもどこまでもひろがって行ける、そんな無限の可能性を持っているのだ、というのです。
 そのような可能性を知らされると、心の牢獄の壁にポッカリと大きな穴が開いたのを感じます。あなたにも、そんな可能性があるのです。希望を持ち、大いなる勇気を出してください。


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