法華三部経の要点 ◇◇6
立正佼成会会長 庭野日敬
無量義経は深く考えさせる経典
まず観察して考え抜け
無量義経の説法品に移りましょう。説法品といっても、ここに説いてある教えは主として「空(くう)」ということです。
大荘厳菩薩が「わたくしどもが、まわり道しないでまっすぐに仏の境地に達するためには、どんな修行をしたらよろしいのでしょうか」と、お尋ねしたのに対して、お釈迦さまはこう教えられます。
「無量義という法門を修めることです。そのためには、まずつぎのことを見究めなければなりません。すなわち、この世のあらゆるものごとは、宇宙ができてから(本)ずっと(来)今日まで(今)、その性質にしても、すがたにしても(性相)、固定されたものではなく、一切が平等でしかも大きな調和を保っている(空寂)のです。われわれが肉眼で見る現象は、大きいとか小さいとか、生ずるとか滅するとか、止まっているとか動いているとか、進むとか退くとか、さまざまな差別や変化があるように見えるけれども、ほんとうは、ちょうど虚空というものと同じように、凡夫が見るような相対的で、固定した存在ではないということを見究めねばならないのです」と。
この「見究めねばならない」という一語に注意することが肝要です。「こうだよ」と断定的におっしゃらずに、「よく観察し見さだめなさい」とおっしゃっているのは、つまり菩薩たちに宿題を出されたのです。一生懸命に考えさせてから、あとで妙法蓮華経の説法でわかりやすく説いて聞かせようというみ心なのです。宿題であり、伏線でもあるわけです。
ですから、現代の菩薩であるあなた方も、いますぐにはわからなくていいから、とにかく懸命に考えてください。考えずにただ教えを聞くのを声聞(しょうもん)といいますが、それではほんとうの悟りに達することはできません。考えて考え抜いたあげく、「こうだ」と教えられると「なるほど!」と、打てば響くようにわかり、ほんとうの菩薩行の実践ができるようになるのです。
なぜガタピシが起こるのか
さて、前述のお言葉に続いて、こうお説きになります。
「ところが多くの人々はこの真理を知らず、目の前にあらわれた現象だけを見て、此(こ)れは此れ、彼(あ)れは彼れ、これは得、これは損と、わがまま勝手な計算をして、そのために不善の心を起こし、さまざまな悪い行為をし、地獄(怒りの世界)・餓鬼(欲求不満の世界)・畜生(本能のみに振り回される世界)・修羅(闘争の世界)・人間(凡夫の世界)・天上(仮の喜びの世界)という六道をグルグル回り、いろいろな苦しみを受けるばかりで、いつまでたっても自分だけではほんとうの平安な世界に到達することができないのです」と。
まさにそのとおりですね。人間みんなはもともと仏の子なのだという真実を悟らずに、だれもかれもを他人だと見ることから、争いも起これば苦しみも生ずるのです。
この一節の初めの部分の原文は「是(こ)れは此(し)、是は彼(ひ)、是は得、是は失と横計して」とあります。この彼と此に注目してください。よく、建具などの具合のわるいのを「ガタピシする」と言います。また、人間と人間や国と国との関係がしっくりいかないのも「ガタピシする」と言います。
このガは「我」であり、タは「他」であり、ピは「彼」であり、シは「此」です。我だ、他だ、彼だ、此だと差別の眼で見るからお互いの関係がガタピシするようになるというのであって、ガタピシ(我他彼此)というのは仏教のそういう教えから出た言葉なのです。たいへん意味の深い言葉ですから、ついでによく記憶しておいて頂きたいと思います。