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経典のことば(52)
立正佼成会会長 庭野日敬

他に隷属(れいぞく)するはすべて苦なり。自在の主権は楽し。
(小部経典・譬喩経)

真の自分の確認

 近ごろ、新聞雑誌などでアイデンティティーという言葉がやたらと目につきますので、調べてみましたところ、「自分が自分であることの確信」ということで、つまるところは「真の自己」の発見とか「主体性」の確立とかいうことだそうです。
 「なあんだ……」と思いました。アメリカの心理学者が十五年ぐらい前から言い始めたとかいうことを、何か新しい思想のように英語そのままで表現しなくても、お釈迦さまが二千五百年前にちゃんとおっしゃっているではないか……と思いました。
 こういうところが、現代の日本人に「自分が自分であることの確信」がないことの表明ではないでしょうか。
 日本には世界に誇るべき文化があります。太古からの神ながらの道に儒教と仏教の思想を溶け合わせ、千数百年の間、じっくりと醸(かも)し続けてきた、独特の精神があります。
 川端康成さんがノーベル賞受賞の記念講演で『美しい日本の私』という題で話されたように、四季に移り変わる美しい自然といま言ったような精神が融合した「日本のこころ」というものがあります。あの講演で川端さんは、
 春は花夏ほととぎす秋は月
 冬雪さえて冷(すず)しかりけり
という道元禅師の歌と、
 雲を出でて我にともなふ冬の月
 風や身にしむ雪や冷めたき
という明恵上人の歌を引用して、「日本だけにあるもの」を世界の人びとに示しました。そして、「これらはつよく禅につながるものであります」という言葉で講演を結びました。

世界の日本人となるために

 さて、標記のお釈迦さまのことばの意味は、「一方的に他に従うのは苦である。自分自身に主体性を持てば心は自由自在で楽しい」ということになりましょう。この前半の「他に隷属するはすべて苦なり」というのはたいへん深いところをえぐったことばだと思います。表面的には、易々として他に従っていたほうが気が楽なように考えられますが、じつはそうではないのであって、心の深層には、真の自己が確立していないことの苦がわだかまるのだ……という意味でありましょう。
 この「真の自己」というのは、けっして「我(が)」ではありません。主体性を持てというのも、「我」を張り通せということではありません。そこのところを誤解しないようにして頂きたいものです。
 法華経の薬草諭品にありますように、すべての草木は仏(宇宙の大生命)の恵みを受けて育つもので本質的には等しい存在ですが、その現れにおいては、あるいは亭々たる大木であり、あるいは楚々(そそ)たる草花であります。人間もそれと同様なのです。ですから、仏教で「真の自己を悟れ」と説くのは、その平等相の尊さと差別相の尊さの両方をしっかり自覚せよ、ということでありましょう。
 このことは、個人の生きざまにおいても大切ですが、世界の中の日本人という視座から見ても非常に大事なことだと思うのです。日本人は「どの国の人も平等な人間仲間だ」という精神を持つと同時に、日本独特の文化を確保しそれに誇りを持たなければなりますまい。そうでなければ、世界の人びとに親しまれもせず、敬意も表されないでしょう。
 標記のことばを、わたしはこのように拡大解釈したいのです。
題字と絵 難波淳郎

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