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経典のことば(48)
立正佼成会会長 庭野日敬

世はみな無常にして会わば必ず離るることあり。憂を懐(いだ)くことなかれ。世相是の如し。当に勤めて精進して早く解脱を求め、智慧の明を以て諸の痴闇を滅すべし。
(仏垂般涅槃略説教誡経)

砂の城で遊ぶ人間

 この経はお釈迦さまがご入滅を前にしてお弟子たちに最後の戒めを垂れ給うた、いわば遺言のような経だといわれています。
 このお言葉の前半には、「わたしの入滅を歎くことはない」という弟子たちへの思いやりがこめられていますが、それよりも、「諸行無常という真理をこの際しっかり考え直せ」と、あらためて強く諭されていることのほうを重視すべきだと思います。
 その証拠には、このあとにも「世は実に危脆(きぜい=危なくてもろい)にして牢強なるものなし」とも、「この三界は敗壊(はいえ=やぶれくずれる)不安の相なり」ともおっしゃっておられます。
 われわれは、こうした危なくて、もろくて、くずれやすい世に住んでいながら、それを忘れて、ただ目前の損得ばかりに心を奪われて暮らしているのではないでしょうか。
 ≪修行道地経≫というお経にこんなことが説かれています。
 川原で子供たちが砂で家や城をつくって遊んでいた。「これはおれの家だ」「これはおれの城だ」と喜んでいるうちはよかったが、その中の一人が、過って他の子のつくった城をこわしてしまった。
 こわされた子供は怒って、その子の髪の毛をひっつかんでなぐりつけた。そして、「みんな来い。こいつがおれの城をこわしたんだ。みんなでひどい目に遭わせてやろう」と言うと、ほかの子供たちも集まってきて、打ったり蹴ったりした。その上、「さあ、この城を元どおりにして返せ」と責めたてた。
 そのうち日が暮れかかった。あたりが薄暗くなってきた。子供たちは、ふとわが家を思い出した。父母のいるわが家が恋しくなって、つくった砂の家も、こわされた砂の城もそのままにして、振り返りもせず、ちりぢりに帰って行った。

真のわが家へ帰る

 この話を読むと、もろくて頼りのないもののためにあくせくしている人間の生きざまが、つくづくと空しくなります。とくに、大宇宙から眺めれば砂の一粒にも足りない小さな地球の上で、国と国とがいろいろと文句をつけて争い合っているのがどんなにバカバカしいことかと、思わず歎声を発せざるをえません。
 ですから、日暮れどきに子供たちが砂の家や城をそのままにして家路を急いだように、われわれもほんとうのわが家に帰らなければなりますまい。それは、言うまでもなく、「心の家」です。「真理の世界」です。
 標記のことばの後半は、このことを教えられているのだと思います。「当に勤めて精進して早く解脱を求め」とは、そのことなのです。
 日本人の半分以上が、現在の生活に満足しているといいます。それは、じつは砂の家の暮らしに満足しているのです。砂の家はいつ崩れるかわかりません。それに対して、もし仏の家に入って真理の世界に住するならば、そこは決して崩れることはありませんから、いつも大安心の境地にいることができるわけです。
 しかし、それで満足してはならないのであって、「智慧の明を以て諸(もろもろ)の痴闇(おろかな暗の世界)を滅し」なければ、ほんとうの信仰者とはいえません。多くの国々が砂の城をつくり、その城を壊したのなんのと愚かな争いをくりかえしているのが現状です。その痴闇を滅するのがわれわれ仏教徒の大使命であり、お釈迦さまの遺言の究極はそこにあるのではないでしょうか。
題字と絵 難波淳郎

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