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経典のことば(16)
立正佼成会会長 庭野日敬

一切衆生悉(ことごと)く仏性有り
(大般涅槃経・迦葉菩薩品)

仏性のギリギリの意味は

 すべての人間はみんな仏性を持っている!
 なんというすばらしい大発見でしょう。なんという喜ばしい大真実でしょう。
 仏法のすべての教えは、お釈迦さまの、この大発見をいとぐちとして展開され、八万四千というぼう大なその法門も、巻き納めれば、この大真実に帰結するのだ……と断じてもさしつかえはありますまい。
 では、その仏性とはどんなものでしょうか。ごく普通の解釈では「仏すなわち精神的に完成した人間になりうる可能性」ということです。しかし、日々の暮らしに追われているわれわれにとって、お釈迦さまのような完全な人格者になりうる可能性がお前にもあるのだと言われても、現実の自分との間にあまりにも距離がありすぎて、ただ気の遠くなるような思いをするばかりです。
 それよりも、もっと掘り下げたギリギリの意味の仏性のほうが、かえって身近に感じられるのです。すなわち、同じ涅槃経に「仏性とは第一義空なり」とあるように、「人間の本性は宇宙の大生命そのものである」ということです。
 この世の万物万象は宇宙の大生命が生み出したものである……これはまったく抜きさしならぬ真実です。人間もやはり万物万象の一つですから、間違いなく宇宙の大生命が生み出したものです。目に見えぬ宇宙の大生命の具体化・現実化といってもいいでしょう。したがって、人間の本性は宇宙の大生命そのものであり、すべての人間が平等にその本性を持っているのだ……ということになります。
 これが「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」のギリギリの意味なのです。

仏性の悟りが幸せを生む

 自分の本性は仏性なのだ。宇宙の大生命そのものなのだ……という真実をしみじみとかみしめてみるとき、あなたの胸にはどんな思いがわいてきますか。
 これまで自分をつまらぬ人間だ、地位も金もない下積みの存在だなどと思いこんでいたのが一転して、「現象のうえはどうあろうとも、本質的には宇宙のいのちの生みの子なのだ。だれにも劣らぬ光り輝くような存在なのだ」という自信がわきあがってはきませんか。
 その自信は、宇宙の生命の法則にピタリ合致した意識ですから、それはあなたの生命力を限りなくもり立てる原動力となりましょう。心は明るくなり、積極的な意欲がおう盛になりましょう。したがって、健康もメキメキとよくなり、仕事も発展の一路をたどりましょう。すなわち、仏性を意識することがあなたにほんとうに幸せをもたらすのです。
 あなた自身の幸せばかりではありません。「すべての人に仏性がある」という真実を悟れば、人を見る目もガラリと変わってきます。現象のうえでは、よくない行為をする人もあり、無能と見える人もあり、利己一点張りの人もありますが、これまでは現象のうえだけでその人を評価し、憎んだり、蔑視したり、排斥したりしたのが一転して、その人の奥にある本質は、やはり宇宙の大生命の分身なのだ、という真実を見るようになりますから、その人をひとりの人間として受け入れる気持ちになります。
 あなた一人だけでなく、世の中の多くの人がそのような寛容の心を持つようになれば、ひとりでに世の中全体がおだやかになり、明るくなっていくことは必至です。そうした社会を建設するのが仏教の理想にほかならないのですが、その理想はつまるところ、多くの人が「一切衆生悉く仏性有り」と悟ることによって達成されるのであります。
題字と絵 難波淳郎

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