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経典のことば(37)
立正佼成会会長 庭野日敬

大毒蛇なり阿難。
 悪毒蛇なり世尊。
(大荘厳経論・巻六)

あぶく銭を得た農夫

 あるとき、お釈迦さまが阿難を連れて、舎衛国の農村を歩いておられました。
 田んぼのそばに土が小高く盛り上がった所があるのに目を留められた世尊は、
 「阿難よ、あれをごらん。あの中には大毒蛇がいるんだよ」
 と仰せになりました。阿難はそれを見て、
 「なるほど、世尊。恐るべき悪毒蛇がおります」
 こう話し合いながら歩いて行かれました。すぐ近くの田を耕していた一人の農夫がこの会話を聞いていて、仏さまと阿難さまは千里眼を持っておられるのか……と思い、その小さい丘を掘ってみると、中からたくさんの黄金が出てきました。
 「なぁんだ。金じゃないか。仏さまがたはどうしてこれを『大毒蛇だ』『悪毒蛇です』などと言われたんだろう。こんな有り難いものを……」
 そうつぶやきながら黄金を掘り出し、家へ持って帰りました。
 それまでこの農夫はたいへん貧乏で、着る物にも食べる物にも不自由していたのですが、思わぬ大金が入ったのでいい気になり、新しい着物は買うわ、毎日ご馳走は食べるわと、大いにぜいたくを始めました。
 近所の人たちがそれを見て怪しく思い、いつしかそれが役人の耳にも入り、彼は役所に引っ立てられました。そして金の出所を追及されました。ありのままを言ったのですが、そんな夢みたいなことは通らない、と吟味は厳しくなるばかりです。
 もはや刑罰を受けるのは必至となってから、彼は弁解をやめて、ただ、
 「大毒蛇なり阿難。悪毒蛇なり世尊」
 と口の中でつぶやくばかりでした。

現代にも毒蛇はいる

 そのことを刑吏から聞いた王は不思議に思い、農夫を呼び出して直接事情を聴きただしてみました。彼は一部始終を申し上げ、
 「仏さまと阿難さまの仰せられた通りだと、今つくづくわかりました。わたくしは毒蛇に咬まれたのでございます。いや、毒蛇に咬まれたのは一身だけですみますが、黄金に心をくらまされると、その害は家族や親戚までにも及びます」
 と言いました。王は深く感じ入り、
 「よくぞそこまで悟った。まことに仏陀のお言葉は常に真実である。よろしい。そなたから取り上げた残りの金は返してやる。そのうえ、褒美の金も遣(つか)わすとしよう。これからは仏陀の教えを敬信して、正しい道を歩むがよい」
 と、嬉しい判決を下したのでありました。
 「黄金は毒蛇である」という言葉を聞いて、素直に納得しない人も多いことと思います。たしかにお金は大切なものです。今の世の中に生きていくには無くてはならぬものです。
 しかし、この農夫が額に汗することなく得た大金が身に災いを呼んだような実例は、今の世にも数多くあります。
 楽をして儲けようという心理につけ込むさまざまな商法が次から次へと出現することは周知の通りです。そして多くの悲劇を生んでいることも新聞紙上などで見られる通りです。そういう意味で、まことに「黄金は毒蛇」なのです。
 釈尊も決して金銭を無視してはおられません。そのことは、善生経の次のお言葉でも知られます。
 「まず技術を習って、しかる後に財業を得べし。財業すでに具わらば、宜しくみずから守護すべし」
題字と絵 難波淳郎

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