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経典のことば(26)
立正佼成会会長 庭野日敬

美しく飾り立てた王の馬車も朽ちてしまう。
人のからだも同じように老いてしまう。
しかし聖者の説いた法のみは朽ちない。
心ある人が互いに心ある人に伝えるからである。
(法句経151)

形あるものの定め

 コーサラ国の波斯匿王(はしのくおう)と末利夫人(まりぶにん)は、たいそう仲のよい夫婦で、そろってお釈迦さまに帰依した篤信の人でした。
 ところが末利夫人が重い病気にかかり、手を尽くしたかいもなくあの世へ行ってしまいました。
 王はたいへんに嘆き悲しみ、葬儀がすむと毎日祇園精舎におもむき、夫人がどこへ生まれ変わったかをお釈迦さまにうかがおうとしました。しかし、お釈迦さまが大衆に向かってお説きになる説法の妙理に聞き惚れているうちに、ついそういうお尋ねをすることを忘れていました。
 八日目のことです。お釈迦さまが托鉢に出られ、王の宮殿の前に立たれました。それを聞いた王は自分から出てきてお鉢を受け取り、宮殿の中へ案内しようとしましたところ、お釈迦さまはそれを押しとどめ、庭の隅にある馬車小屋にはいって行かれました。
 仕方なくそこで朝の食事をさしあげた王は、かねてから心にかけていたことをお尋ねしました。
 「世尊、末利はどこへ生まれているでしょうか」
 「王よ、夫人は兜率天(とそつてん)にいます」
 「それは有り難いことです。しかしわたくしは、末利がいなくなってからこの世に生きているのが空しくなりました……」
 世尊はしばらく沈黙しておられましたが、やがてこうお尋ねになりました。
 「王よ、あちらにあるのはだれの馬車ですか」
 「わたくしの祖父のでございます」
 「こちらにあるのは……」
 「わたくしの父のでございます」
 「ここにあるのは……」
 「わたくしのでございます」
 世尊は深くおうなずきになって、こうおっしゃるのでした。
 「王よ、あなたの祖父の馬車はあなたの父の馬車よりも前に古びて使えなくなりました。あなたの父の馬車はあなたの馬車よりも前に使いものにならなくなりました。このように硬い木で造ったものでさえ朽ちてしまうのです。ましてやなまみの人間のからだがいつまでもそのままある道理がありません。それがこの世の定めです。ですから王よ、悲しんではなりません」

「心ある人」の誇りを

 こうお慰めになってから、最後におおせられた一言が千鈞(せんきん)の重みを持つことばです。
 しかし聖者の説いた法のみは朽ちない。
 心ある人が互いに心ある人に伝えるからである。
 形あるものは必ず滅します。生あるものは必ず死にます。しかし、真理のみは不滅です。真理を説いた教えのみは朽ちはてることはありません。なぜならば、その真理を知った「心ある人」から、真理を知りたいという「心ある人」へと、つぎつぎに伝えられるからです。永遠に人から人へ伝えられないような教えはニセモノです。真理ではありません。ニセモノはいつか消えていきます。
 仏法は二千五百年のあいだ人から人へ伝えられ、いまも脈々と生きています。日に日に生命を新しくしています。それを思えば、われわれの信はますます深くなり、同時に、自分もそれを人に伝える「心ある人」の一人だという誇りを覚えざるをえません。あなたはいかがですか。
題字と絵 難波淳郎

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