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経典のことば(23)
立正佼成会会長 庭野日敬

心の中の弓矢と刀を捨てよ
(法句譬喩経巻1)

現実の武器は捨てても

 舎衛国の一隅に夫婦そろって心が険悪で、人間の道をまるで知らない男女が住んでいました。お釈迦さまは、何というかわいそうな人間だろうと深くお哀れみになり、二人を教化しようとみすぼらしい修行者の姿となってその門の前に立たれました。
 夫は出かけており、妻だけが留守居していましたが、修行者を見るや、「何の用だ。早く行ってしまえ」と、つっけんどんにののしるのでした。修行者が「わたしは仏道を修行している者です。一食を供養して頂きたい」と言いますと、ますます声を荒らげ「お前さんがそこで立ったまま死んでも、食べものなんかやらないよ」と悪態をつくのです。
 すると、修行者はたちまち目をつり上げ、呼吸を止め、死相を現しました。妻は震え上がって逃げ出しました。
 修行者は静かに立ち去り、近くの木の下に端座していました。そこへ夫が帰ってきて、妻が震えているのを見て「どうしたんだ」と聞くと、「あの修行者におどかされたのです」との答えです。
 夫は大いに怒り、弓矢と刀をもって修行者のところへ走って行きました。修行者は神通力をもって自分の周りに城壁を造り、男を寄せつけません。男は怒りに狂って「城の門を開けろ」と、どなります。修行者は「お前が弓矢や刀を捨てれば開けてやる」と答えます。
 男は考えました。――よし、弓矢と刀は捨てよう。そして、門を開けたら、げんこつでなぐり殺してやろう――と。男は弓矢を投げ出し、「さあ、開けろ」と言いました。しかし、門は閉じたままです。
 男が「弓矢と刀を捨てたのに、なぜ門を開けない?」となじりますと、修行者は重々しい口調でキッパリと言いました。
 「お前の心の中にある悪意の弓矢と刀を捨てよ、と言ったのだ。手に持っている弓矢と刀のことではない」
 男は――この人はわたしの心の中を見抜いた。きっと偉い聖者に違いない――と直感し、思わずその場にひれ伏しました。そこでお釈迦さまは光り輝く仏の相を現され、夫婦にじゅんじゅんと正法をお説き聞かせになりましたので、二人とも人間らしい人間に立ち返ったのでありました。

世界平和も「心」から

 この「心の中の弓矢と刀を捨てよ」という言葉ほど、二十世紀の人類にとって重大な戒めはないのではないでしょうか。
 アメリカ・ソ連をはじめとする先進諸国の間で、核戦力に関するいろいろな取り決めが行われつつあります。しかし、どんな体制がつくられようとも、それぞれの国民、それぞれの民族の心の中にある敵意や猜疑(さいぎ)などがなくならないかぎり、戦争はなくなりません。核戦争の危険も去りません。この地球上にほんとうの平和をもたらすのは、人間の心の平和化よりほかに道はないのです。心の中の弓矢と刀を捨てるよりほかにはないのです。さればこそ、ユネスコ憲章の前文にも「戦争は人の心から起こる。ゆえに平和の砦(とりで)は人の心の上に築かれねばならぬ」とあるのです。
 これは世界平和という大きな問題ばかりではありません。われわれの日常生活のうえでも、心の弓矢で人を射、心の刀で人を刺していることが多いのではないでしょうか。法律などにはかからぬそうした罪を犯すことによって、人をも傷つけ、自分の心にも悪業(あくごう)を積んでいるのではないでしょうか。大いに反省すべきことだと思います。
題字と絵 難波淳郎

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