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仏教者のことば(23)
立正佼成会会長 庭野日敬

 才市やどんどこ、はたらくばかり。いまわ(は)あなたに、く(苦)をとられ、はたらくみこそ、なむあみだぶつ。
 浅原才市・日本(妙好人浅原才市集)

大哲学者の生き証人

 この人を広く世に紹介された鈴木大拙博士は、その編著『妙好人浅原才市集』冒頭の論文にこのように書いておられます。
 「石見(いわみ)の国は温泉津(ゆのつ)の妙好人浅原才市(一八五一~一九三三)は、実に妙好人中の妙好人である。浄土真宗だけでなく、仏教は何宗でもよい。そのいずれにあっても、妙好人の資格を具えておるから不思議な人物である。(中略)彼は普通にいう妙好人だけでなくて、実に詩人でもあり、文人でもあり、実質的大哲学者でもある」
 浅原才市は、無学な下駄造りの職人でした。菩提寺の和尚さんの説法もよく聞きに行ったようですが、一日の大部分はセッセと下駄造りの仕事に精出していました。そして、仕事をしながら頭に浮かんだことを、下駄の歯や、下駄の裏や、小学生用のノートに書きつけました。ほとんどひら仮名で、ところどころに使ってある漢字も、阿弥陀をあみ太と書いたり、後生をご正と書くような当て字が多いのです。
 そのような無学な老人が、世界的な学者である鈴木大拙先生をして「実質的大哲学者でもある」と言わしめたのですから、学問はなくても、ほんとうに澄み切った心で信仰に徹底すれば、宇宙と人生の真理に直入し、それと一体となることができることの、生きた証人であると言わねばなりますまい。
 そういう点において、われわれ在家信仰者が手本として仰ぐべき人物であると確信します。

世界虚空がみな仏

 ここに掲げた一編は、ほとんど解説の要もないと思いますが、「いまはあなたに、苦をとられ」というのは、仏さまに苦を吸い取っていただいているという実感です。そして、くったくのない明るい法悦の中で、どんどこどんどこ、働いている身の有り難さを思えば、ひとりでに「なむあみだぶつ」が出てくるというのです。信仰の妙境はここに尽きるといっていいでしょう。
 この句の前後にある句を補った完全な一編を読めば、その妙境がもっとはっきりとわかってくるでしょう。
  よろこびを、まかせるひとわ、なむの二じ。
  われが、よろこびや、なむがをる。
  才市やどんどこ、はたらくばかり。
  いまわ、あなたに、くをとられ、はたらくみこそ、なむあみだぶつ。
  らくもこれ、よろこびもこれ、さとるもこれ。
  らくらくと、らくこそらくで、
  うきよをよごすよ。
  才市が仏さまと一体になっている実感は、次の一編でもよくうかがうことができます。
  才市がをやさま。
  才市がをやさまに、
  よ(う)似て居るよ。
  見るほど、よ(う)似て居るよ。
  親と思わず。
  親さまによ(う)似て居るよ。
  この親が才市の親かい。
  ありがたい、なつかしや。
  なむあみだぶつ、なむあみだぶつ。
  最後に、哲学的な境地ともいうべき一編を紹介しましょう。これは、法華経で説かれる真実とも一致しているので、とりわけ印象に残ります。
  ゑゑな。(いいな)。
  世界虚空が、みな仏。
  わしも、そのなか。
  なむあみだぶつ。
題字 田岡正堂

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