仏教者のことば(22)
立正佼成会会長 庭野日敬
新しく興ってくる西洋の思想は総合性をめざしているから、この新しい要求を満たす材料を仏教の真理の蔵から選び出すことを、むしろ希望するであろう。
C・ハンフレーズ・英国(仏教・原島進訳)
世界を分裂から救う道
クリスマス・ハンフレーズ氏は、英国の法曹界で指導的地位にある人ですが、十七歳で仏教に関心を持ち始めて深くそれに帰依し、一九二四年にロンドン仏教協会を設立しました。この会はヨーロッパにおける最も有力な仏教団体であります。
この『仏教』という書は、日本でいえば岩波文庫に当たる『ペリカンブック』の一冊として、西洋では非常によく読まれているそうですが、日本人があまりにも仏教の中にドップリ浸(つか)っているためにとかくその根本を忘れがちなのに対し、異なった文化の中に生い育った知性の人であるハンフレーズ氏は、醒めた目でしっかりと仏教の全貌をつかみ、「世界仏教」としてそれをとらえているところに、日本人がかえって教えられるところが多いのです。
右に掲げた言葉は、その書の結びの一節にあり、いわゆる「西洋の没落」から立ち直らせるばかりでなく、それがひいては世界全体を慢性的な分裂から救う大きな手がかりとなる考えであると思うのです。
すべては一つということ
西洋的なものの考え方は、一口でいえば、ものごとの一つ一つを克明に分析してそこから真理を発見していこうとするものでありました。そういう態度が、科学の驚異的な発達を生んだのです。ところが、科学は多くの面で人類の生活に寄与するところが多いのですけれども、しかし、人類はいっこうそれによって幸せになってはいません。
安楽になり過ぎた生活は、生物としての人間の生命力を弱めつつあります。多くの疫病は消滅しましたが、新しい文明病は続々と発生しつつあります。しかも科学の最大の鬼っ子である核兵器は、われわれに最大の不安を与えているのです。
科学の発達がわるいのではありません。個にとらわれ、全体を忘れる思想がよくないのです。現実生活の快楽を追い求め、精神の寂静をないがしろにする生きざまがよくないのです。そこに仏教再登場の大いなる意義があります。
まず第一に、仏教は「すべては一つ」という世界観に根拠を置いています。この世のすべての物象は、科学的に言えば「ただひといろの空(くう)の所産である」と断じ、宗教的に言えば「法身の仏(宇宙の大生命)の分身である」とし、いずれにしても根源は一つであるという真実を説いています。
したがって、人間どうしはもとより、天地すべての物と大調和して生きるのが真理にかなった生き方であり、そこに人間のほんとうの安らぎがあり、幸せがあるとしているのです。
物質的欲望や個の権利のみを追求していけば、どこまでいってもそれが満たされることはなく、自分自身は絶えざる欲求不満に悩まされ、他との間には衝突と摩擦が生じ、永久に心の安らぐことはありません。釈尊が簡素な生活を勧められたのも、たんなる個のための戒めではなく、世の中全体の軋轢(あつれき)を少なくするという大きな配慮があったものと拝察されます。
西洋の心ある人々は、右の言葉にもあるように「総合性(大きくまとめて考える)(大きく一つにまとまる)」ということを強く志向しています。そのことを、われわれ日本人も謙虚に逆輸入すべきではないでしょうか。
題字 田岡正堂
立正佼成会会長 庭野日敬
新しく興ってくる西洋の思想は総合性をめざしているから、この新しい要求を満たす材料を仏教の真理の蔵から選び出すことを、むしろ希望するであろう。
C・ハンフレーズ・英国(仏教・原島進訳)
世界を分裂から救う道
クリスマス・ハンフレーズ氏は、英国の法曹界で指導的地位にある人ですが、十七歳で仏教に関心を持ち始めて深くそれに帰依し、一九二四年にロンドン仏教協会を設立しました。この会はヨーロッパにおける最も有力な仏教団体であります。
この『仏教』という書は、日本でいえば岩波文庫に当たる『ペリカンブック』の一冊として、西洋では非常によく読まれているそうですが、日本人があまりにも仏教の中にドップリ浸(つか)っているためにとかくその根本を忘れがちなのに対し、異なった文化の中に生い育った知性の人であるハンフレーズ氏は、醒めた目でしっかりと仏教の全貌をつかみ、「世界仏教」としてそれをとらえているところに、日本人がかえって教えられるところが多いのです。
右に掲げた言葉は、その書の結びの一節にあり、いわゆる「西洋の没落」から立ち直らせるばかりでなく、それがひいては世界全体を慢性的な分裂から救う大きな手がかりとなる考えであると思うのです。
すべては一つということ
西洋的なものの考え方は、一口でいえば、ものごとの一つ一つを克明に分析してそこから真理を発見していこうとするものでありました。そういう態度が、科学の驚異的な発達を生んだのです。ところが、科学は多くの面で人類の生活に寄与するところが多いのですけれども、しかし、人類はいっこうそれによって幸せになってはいません。
安楽になり過ぎた生活は、生物としての人間の生命力を弱めつつあります。多くの疫病は消滅しましたが、新しい文明病は続々と発生しつつあります。しかも科学の最大の鬼っ子である核兵器は、われわれに最大の不安を与えているのです。
科学の発達がわるいのではありません。個にとらわれ、全体を忘れる思想がよくないのです。現実生活の快楽を追い求め、精神の寂静をないがしろにする生きざまがよくないのです。そこに仏教再登場の大いなる意義があります。
まず第一に、仏教は「すべては一つ」という世界観に根拠を置いています。この世のすべての物象は、科学的に言えば「ただひといろの空(くう)の所産である」と断じ、宗教的に言えば「法身の仏(宇宙の大生命)の分身である」とし、いずれにしても根源は一つであるという真実を説いています。
したがって、人間どうしはもとより、天地すべての物と大調和して生きるのが真理にかなった生き方であり、そこに人間のほんとうの安らぎがあり、幸せがあるとしているのです。
物質的欲望や個の権利のみを追求していけば、どこまでいってもそれが満たされることはなく、自分自身は絶えざる欲求不満に悩まされ、他との間には衝突と摩擦が生じ、永久に心の安らぐことはありません。釈尊が簡素な生活を勧められたのも、たんなる個のための戒めではなく、世の中全体の軋轢(あつれき)を少なくするという大きな配慮があったものと拝察されます。
西洋の心ある人々は、右の言葉にもあるように「総合性(大きくまとめて考える)(大きく一つにまとまる)」ということを強く志向しています。そのことを、われわれ日本人も謙虚に逆輸入すべきではないでしょうか。
題字 田岡正堂