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心が変われば世界が変わる
 ―一念三千の現代的展開―(19)
 立正佼成会会長 庭野日敬

何となく自信のもてぬ人に

心に不安があれば運は去る

 自分の仕事や人生すべてに対して、何となく自信がもてない……と訴える人がよくあります。現代病の一つ、心の病気の一つだと思います。
 まず、自分の仕事について自信がもてないなど、そんなはずはないのです。あなたがコンピューターの知識が全然ないのに、その修理をせよと言われたのだったら、それは不可能でしょう。若乃花や北の湖と相撲をとって勝てと言われたらそれは無理というものでしょう。しかし職場におけるあなたの仕事は、それをやり遂げられる能力をもっておればこそ、その役目を与えられているのですから、できないはずはないのです。それなのに何となく自信がもてないというのは、オドオド病という病気なのです。勇気不足病といってもいいでしょう。
 ゴルフを例にとりますと、例えば、谷越えのショットをするとき、「谷に落とすんじゃないか」と不安な気持で打つと、決まって落としてしまいます。なぜかと言えば、意識のうちに身体が固くなって腕が縮み、肩が回らないからです。パットをするときも、「どうも入りそうにないな」と思いながらやると、必ず入りません。心がノビノビしていないから筋肉もノビノビせず、リズムも狂ってしまうのでしょう。
 人生万事これと同じです。心のもち方は行動に微妙な影響を与えます。従って当然それは結果に現れます。(運)という文字は、車が道の上を転がっていくありさまを表現したものだそうです。(運がいい)というのは、平坦な道をスムーズに転がって行く……ということになりましょう。しかし、いくら道が平坦でも、車の要所要所に油が十分差してなければ、ガタピシして、うまく進んでは行きません。それと同様に、ものごとに当たっていつもオドオドしているならば、必ず行動もガタピシしますから、(運)がよくなるはずはないのです。

時に応じて開き直ること

 では、そんな人は心をどう切り替えたらいいのでしょうか。まず、勇気をもつことです。およそ、万事に自信がもてないといった人はおおむね善良で、自省過多で、従って、気の弱い人が多いのです。善良なことも、常に自省することもいいことには違いないのですが、それが度を越せば、やはり「過ぎたるは及ばざるが如し」です。ですから、そんな型の人は、大事な仕事に際しては、「ナニクソ」といった勇気をもって、体当たりしていくことが必要です。全力をふるって体当たりしていけば、必ず道は開けるものです。高校野球の場合など、特にそうしたシーンを見かけるではありませんか。
 失敗を恐れてはいけません。もし失敗したら……といった不安をもてば、先ほどゴルフの例を引いて説明した通り、不思議と、それは実際となって現れます。「恐れるものはやってくる」の理です。(運)の理です。反対に、「人生に失敗は付きものではないか。失敗してはやり直し、その上を乗り越え、乗り越えしていく、それが人生ではないか」と開き直って、正面から堂々と事に立ち向かえば、かえって失敗は向こうから退散してしまうものです。(運)が向こうから凹凸道を平らにしてくれるのです。
 人生には、時に応じて、こうした開き直りが必要です。開き直りというのは、一面ヤケクソに似たところがありますが、決してヤケクソではありません。理にかなった態度です。目前の状況が八方塞がりのように感じられるとき、その狭い現実の中でやみくもに苦しみ、もがこうとする自分を思い切ってパッと捨て去り、もっと広い世界にいる自分を発見しようとする、正しい心の転換法です。より広い世界を開いて、その中に居直るから、開き直るというのです。そして、この心の操作は、優れた人だけにできるというものではありません。だれにでもできることです。すべての人間に具(そな)わっている、いわば人生の安全弁なのです。

「70年は生きられる」の理

 「七十日は生きられないが、七十年は生きられる」という諺があります。ある失敗をし、挫折感にうちひしがれ、もう生きてはおられないと思うことがあるけれども、それはごく短い間(七十日)のことで、いつの間にか立ち直ってしまう。そのうち、またまた他の失敗や挫折に遭って絶望に沈むのだが、それまた忘却の彼方に去ってしまう。こうして、いつしか七十年もの歳月を生きていく。それが人生だ……というのです。目前のことに自信をもてず、いつも不安を覚えている人は、この諺を一日に何度も唱えてみるとよいと思います。(つづく)

 菩薩の頭部(アフガニスタン)
 絵 増谷直樹

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