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すべてのものは変化する、変化するものであるからこそ、現在の瞬間、瞬間にベストを尽くせというのが真の仏陀(ぶつだ)の教えであり、それはまた、おごれる者に自省を促し、不幸の者に希望を与えて、精進せしめるというそれがこの真理を仏陀(ぶつだ)が説かれた真の精神であります。
 第2番目に、諸法無我でありますが、この諸法無我とは、すべてのものは他(た)と関係なしに孤立して存在するものではないということでありまして、すべてのものは、相違相関の間柄にあるということであります。
 わたくしが、東京からロンドンに飛行して、来るためには、操縦するパイロットをはじめ、安全飛行のために絶えず地上から通信を送ってくれる人、機械を整備する(「しゅる」と発音)人、燃料を補給した人、機体の材料である鉱物を掘り出した人、機体を設計した人、というように見てまいりますと、1機の飛行機はまさにジェットエンジンの推進だけではなく、世界中の真心によって支えられて飛ぶことができるわけであります。そのような、(咳払い)そのおかげさまで、わたくしをいまこうして皆さまの前へ出ているわけでございます。
 もっと突っ込んで考えてみますと、機体のジュラルミン(「ジュウラミン」と発音)やチタニウムのような原料である鉱物も燃料も、人間がつくって地下にうめたものではなく、自然から与えられ、それを利用しているにすぎないわけであります。ところが人間は、それに気づかず、自分の力だけで行動し、生きているという傲慢さをもつようになったことは、反省すべきでありましょう。あるいはまた、自然との調和ではなく、自然を征服するという驕慢さによって人類はいま、公害や資源の枯渇というかたちで、自らの首を絞めているのが現状ではありますまいか(咳払い)。
 さて、諸法無我についてお話を致しましたが、ここで出てくるのは、仏教のいま一つの大事な教えであります。それは縁起ということであります。縁起とは、一切のものは縁によって起こるということであります。現在、わたくしが着ておりますこの衣服も、日々(にちにち)の糧(かて)である食料も、自分以外の人々の勤労の結果を縁とし、この心もあらゆる出会い、すなわち体験と知識を縁として形成されております。そうして人間は、あらゆる縁の中で生かされているというわけであります。人間社会はあたかも、網のようなものであって、自分という一つの網の目は、他(た)の網の目によって保たれ、また自分という一つの網の目は、他(た)の網の目にとってなくてはならぬ縁(「いん」と発音)となっている、うー、のであります。

 ところが、今日(こんにち)の人びとは、物とか金(かね)とかいう目に見える物質的なものだけにとらわれすぎております。

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