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仏教者のことば(41)
立正佼成会会長 庭野日敬

 大いなるものにいだかれあることをけさふく風のすずしさにしる
 山田無文・日本(手を合わせる)

生きよという大きな力

 前に、山田無文老師が青年時代に河口慧海師の講義を聞いて菩提心を起こされた話を書きましたが、山田青年は決意すると矢も盾もたまらず、慧海師に出家入門の嘆願書を出しました。出家については父上の猛反対があったようですが、いろいろないきさつがあって、ついに許されたのでした。
 慧海師のもとでの修行は厳しいもので、東洋大学へ通うほかは、朝四時から家事一切を受け持たされました。しかも師は全くの清僧で、肉や魚は一切食べず、朝は味噌汁に煮込んだうどん。昼は玄米と小豆と麦の飯にけんちん汁ときまっていました。
 山田青年は、けんめいに働き、修行し、勉強しましたが、過労と睡眠不足と栄養失調で、ついに倒れてしまいました。おそらく結核だったのでしょう。頸(くび)のりんぱ腺が顔ほどにはれ上がり、身体はやせ衰えてしまい、やむなく故郷に帰って療養することになりました。二十歳だったのに体重は三十七キロしかなかったそうです。
 故郷で療養中に、兄さんが喉頭結核で死に、山田青年は絶望感に打ちひしがれていました。そうしたある朝、梅雨も終わるころ、久しぶりに寝床から離れて縁側に出ると、涼しい風がそよそよとほおをなでました。ふと、「風とは何だったかな」と考え、「風とは空気が動いているのだ。そうだ、空気というものがあったなあ」と気づき、大きな衝撃を受けました。そのときの心境を、『手を合わせる』に次のように書いておられます。
 「生まれてから二十年もの長い間、この空気に養われながら、空気のあることに気がつかなかったのである。わたくしのほうは空気とも思わないのに、空気のほうは寝てもさめても休みなく、わたくしを抱きしめておってくれたのである。と気がついたとき、わたくしは泣けて泣けてしかたがなかった。「おれは一人じゃないぞ。孤独じゃないぞ。おれの後ろには、生きよ生きよとおれを育ててくれる大きな力があるんだ。おれはなおるぞ」と思った。人間は生きるのじゃなくて、生かされているのだということを、しみじみ味わわされたのである。わたくしの心は明るく開けた」(傍点筆者)
 その時に作られたのが、ここに掲げた短歌であります。

仏を確認し生死を超越

 その後、遠州金地院の河野大圭という和尚さんの特殊な治療を受けて健康体となられたのだそうですが、それはさておき、わたしはこの分かりやすく覚えやすい歌が、百千の説法にまさる大きなはたらきをする三十一文字だと思われてならないのです。
 われわれは、天地のあらゆるものに生かされて生きているのです。その、天地のあらゆるものをつらぬく一つのいのちが、ここに歌われている「大いなるもの」です。たしかにわれわれは、一つの大いなるものにいだかれているのです。ふだんわれわれは、そのことに気づきません。
 しかし、山田青年が空気の存在をフト思い出したように、なにかの縁に触れてその大いなるものに気づくはずです。その瞬間に真の救いが始まるのです。そのことを、この歌は静かに、しかも痛切に教えています。病気になっても仕方はない。不幸に遭っても仕方はない。けれども、そのような時に、それらの現象を超えた大いなるものに気づくならば、わざわいは転じて福になりましょう。つまり、仏さまはいつ、いかなるところにもいますことを確認し、生死を超越することができるのです。
題字 田岡正堂

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