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その方々がですね、そういうことは提唱してるんですが、これはまあちょっとね、自慢のようのことになりますので、キリスト教の、もし方がいらして、お気に障ったら、ま、あ、ご勘弁を願いたいと思うんでありますが。でまあ、いろいろこの世界の平和っていうことをもたらすために、根本的の理論はないかというので一生懸命で研究してるけれどその根本理がわからないというようの状態の話になっちゃったん。話をしてるうちに。その時にたまたま仏教界のほうへ行っていましたところの、法相宗の橋本凝胤(「はしもとりゅういん」と発音)先生のお弟子さんで、安田っていう方が随行で行っておりました。で、その方が、あのう、その、非常にこの具体的な、どうしたらなるだろう、こうしたらなるだろうっていうことを研究してるっていうんで、いろいろのこう例をあげて向こうでいってるけれども、その根本理は何かっていうことを聞いたら、向こうで、じゃあパーンとこないんですね。
なかなかそのはっきりしたこの根本理がどうして、す、世の中はこう、この、平和にならないかと。人間はどうしてこういうふうになるかっていうことで、まあ、ああいうふうにして、どういうふうにしてって、まあいろいろの具体的の、その方法論ではたくさん出ているけど、根本理がどうもはっきりまだしてない。というと、その法相宗の坊さんが質問をしたわけです。これどうもちょっと向こうで、困ってですね、仏教のほうじゃありますかと今度は聞いてきたわけですよ。そこのところは、ま、これはまあ、さっそくですね仏教側では待ってましたとばかしに、もう、この禅宗の佐瀬さんと、わたしとまあ二人でもうこれをやろうじゃないかっていうわけだ。あの佐瀬さんは、とにかく最後はもう庭野さんあんたやるのに、おれに先やらせろよっていうわけだ(一同 笑)。それでまあ、花を持って、それじゃあまああんたやってくださいってことで、佐瀬さんに花を持たしたわけであります。あとのくくりは、ま、庭野さんやってくださいよっていうようの話だったん。ところが佐瀬さんがはっきりいっちまったから、わたしはいう必要もないからいいませんでしたけれども、それで佐瀬さんいうわけですよ。
 仏教のほうでは、人間は貪・瞋・痴というですね、この三毒があるために争いが起こるんだ。三毒を滅しなきゃならないという根本理をはっきりお釈迦さまは教えてるんだという、ま、話になったわけであります。それからあとは、いろいろの雑談でああそうかっていうようのことでありましたが向こうの方はよくわかったかわからないか知りませんが、ま、そういう場面にちょうど出くわしてですね、いろいろこう話をしてみるというと、キリスト教のほうに、根本理がないってことはない、あるかも知れません。

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