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これ、まあその、今度自分の肉体が治っちゃったんですね。そして夫婦がですね、もう思わず知らずのうちに、この、ちゃんと法の、はま、中へはまっちゃった。で、そうして今度の夫婦で別れているのに対してはですね、奥さんも、本当の先生をするっていうのには当然それだけの修行が必要だというので、賛成をしてだんなさまをニューヨークのその学校へやってですね、そういう気持ちだったら、兄さん金を出してくれて、ニューヨークへいま、学校留学してるわけです。ま、そういう話をですね、わたしはニューヨークへ行って佼成会の功徳話聞こうと思っていなかったけれども(一同 笑)、ね。まあ、そのー、そういう人会いたいというからお会いして一ついさめてやろうと思ってまあ、君なんでも、その留学してるというから学生だっていうんだから、いちばんおいしいごっそう、ごっそうしようっていうわけでですね、その、うんと厚いテキを食べさしてですね、一杯飲ましてそしてお夕飯食べて、まあ部屋でもってそういう話を、ホテルの部屋でいろいろ聞いたんでありますが。
 まあそういう話を聞いているうちにですね、本当にこの仏法の因果の法則というものは、本当に素直(「すなわ」と発音)になって聞かなけりゃならないんだなっていうことをですね、コジマさんに聞かされてですね、人にしゃべっているんですよ、わたしはもう40年もしゃべってるんだこういうことをね(一同 笑)。ま、しゃべってるんですけど、あまりにもその人がこうてきぱきとこの、いま、現在にその、生々しいそのザンゲによってすべてのことの変わって行く状態を聞かされるとですね。ああー、もっとこれは精進しなくちゃいけないと、もっとこういう苦しみをしてですね、ですからまあ、おそらくあの誘拐を企てる人とか、意志の弱い人で、何かを見て欲しくなってむらむらと泥棒しる人とか、ま、いろいろの人が皆このですね、因果の法則がわからないでですね、そういう間違ったことを犯してると思うんです。これはやっぱりですね、一人もそういう者がいなくなるという状態をお釈迦さまは願ってですね、われわれ人類全体をとにかく、人類救済のために説いた法門なん。で、その法門がいま、こう、使ってみてですね、こんなにはっきりとこうわかるということが自分たちはわかって認識をしていながら、われわれの努力が足りないために、まだ罪人(ざいにん)を次から次へとかもしだしているっていうことは、これ誠に申し訳ない、と考えなくちゃならないと思うんであり。
 そういう意味で、旅行中にですね、いろいろの宗教団体の状態を聞いて、きのうもちょっと申し上げましたが、ジュネーブにおきまして、WCCの、委員長さんがとうとうとこれはですね、キリスト教が、あー、この、プロテスタントだとか、聖公会だとか、ギリシャ教だとか、えー(咳払い)、この、ローマのようのカソリックだとか、そういうようにこのキリスト教の中でもいく色分かれておりますが、そういう考え方をやめて、まず、キリスト教は1本になってですね、正しくその神の声を聞き、この、本然(ほんぜん)のキリスト教にならなくちゃいけないということを提唱しているのが、ば、WCCであります。

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