先ほど日蓮聖人の話も出ましたが、日蓮聖人なども大変なご苦労をなされたわけでありますが、やっぱりこういう聖者はなかなかその故郷の人に、現世に賛歎されるようなことはない。誕生寺にお詣りしますると、小松原において眉間に傷を受けられて、そして山の奥のほうに逃れ、誕生寺の手前の沢の中に入って傷を癒されたというところがあります。不思議にもあそこの土の中には、カルシウム分が非常に強くて、傷がすぐ治るような土だというんですね。
いずれにしても清澄山で法華経を表に出して、堂々と声明したことによって追われてあの沢に入らたという、あそこへ参りますと、そのお聖人さまのご苦労の跡があの山の細い道の中に偲ばれるわけです。また、その砂を傷につけたとか、そういうことも伺いましたが、まあそのように、聖者はなかなか地元の者に喜ばれるようにならないのであります。
それと同じように、私の生まれた町などでも、なかなかそれは、そう皆さんが簡単にはそういかなかった。しかし幸いにも現在の時代であります。私がこの三十三年に――妙佼先生の亡くなられた明くる年でございますね。――理事長と二人でブラジルへ、日本移民五十周年のお祝いにお招きを頂いて、その当時の文化人十名ということで、お招きを頂いた。十名の中へ私も入れて頂いてブラジルを訪問したのであります。そこから帰ったときに初めて十日町で私の話を聞こうという機運が起こった。そして十日町の有志の方に、初めてそういうことからお説法をさせてもらった、そのときから私の後援会なんてものをつくって下さるようになった。
まあ、そういうことで一応形をつくったのですけれども、なかなか十日町の教会は、そう簡単に伸びなかったわけであります。まあ池田さんが行って頑張っているから、まあ、ようやく落ち着いたということと、また、信者の皆さんが集まることには事欠かない、ちゃんとした道場もできた、そういうことになっておるわけであります。