できることを説いてきかせる
仏教というものは、もう疑ぐる余地がないようにお釈迦さまが説いて下さっている。四諦の法門というもの、八正道、六波羅蜜というもの、もう、どれを見ましても……。
四諦の法門というのは、字を見ますと四つの諦めと書いてありますが、それは何かと言いますと、苦集滅道ということなんです。まず苦諦ということですが、これは人生は楽ではなく苦なんだということなんです。生まれてきたというのは楽をするためなどではない。
ところが最近は、ひどいのになりますと「世界は二人のために」なんて勝手な考え方をしてる。これは地獄行きですね。(笑)そうではなくして、これから二人は世界のためにどのようにして働いたらいいか。これが本当の生き方だ。(拍手)
苦というもの、これはもうしかたがないんです。もう生まれてきた以上、もう生老病死という苦は付いて回るんです。生まれてきちゃったから、だんだん年を取って老人になる。時には病気になる。最後には死にます。ですから、仏教の一番大きな問題というのは生死の問題なんですね。これが、もう極地なんです。生まれなければ何もなかったんだけれども、生まれちゃったからだんだん年を取る。時には患うこともある。最後には、もうどんな偉い人でも死ぬ。もう、これは決まっているんです。
で、第一番目の苦諦ですが、これは苦を明らかにするということなんです。苦というものがどこから来たか、どうして起こってきたか。これが分からないから人間は勝手なことをしちゃうんですね。そして、それは自分自身が悪い因縁を積んできたからだというのが集諦なんです。なぜ〝集〟という字を書くかというと、因縁というものは寄り集まってできるもの、いろいろの関係があってできてくるものだからなんです。そして、その悪因縁を解決する。目連尊者のお母さんが地獄の一劫から極楽へいらっしゃったように、悪因縁を解決してその罪が消えると極楽に行ける。それが滅諦ということなんです。その滅諦のために道を説きたもう。それが道諦ということなんです。その道諦をさらに詳しく言いますと、それが八正道ということになるんです。