第4章 世界宗教者平和会議
「宗教を異にするがゆえに対立するのではなく、人間の幸福と救いという共通の願いをもつ宗教であるからこそ、私たちは協力して、世界平和のために貢献しなければならないのです」
昭和40年9月、ローマ教皇パウロ六世と謁見し、宗教協力の実現を確信するとともに、「宗教協力による平和活動」の展開に向けて尽力。宗教による真の平和を模索する宗教者のあいだに、必然的な出会いが生まれ、連帯の輪が広がっていった。
昭和45年10月、京都で人類史上初の宗教者の平和会議(WCRPⅠ)が開催された。開会式で庭野開祖は「宗教を異にするがゆえに対立するのではなく、人間の幸福と救いという共通の願いをもつ宗教であるからこそ、私たちは協力して、世界平和のために貢献しなければならないのです」と述べた。
昭和53年6月、「第一回国連軍縮特別総会」で演説し、平和と軍縮の必要を訴えた。翌年には宗教界のノーベル賞といわれる「テンプルトン賞」を受賞した。
昭和40年
1965
58歳
15日 第2バチカン公会議開会式に日本の宗教界、仏教徒として初めて出席。パウロ6世と謁見。
58歳
新日本宗教団体連合会(新宗連)全国総会で、第2代理事長に就任。以来、平成4年まで11期・27年間、理事長を務める。
昭和43年
1968
61歳
布教体制の大幅な改編を発表。支部を教会と改称するほか、行政区画に沿った市区町村単位の布教組織の確立を目指す。(新体制は昭和44年1月1日から実施)
昭和44年
1969
62歳
日本宗教連盟(日宗連)理事長に就任し挨拶。「明るい社会づくり四国地区推進大会」が高松市で開催。
昭和45年
1970
63歳
300名以上もの宗教者が一堂に会し、宗教者の出会いと対話を促進する「第1回世界宗教者平和会議(WCRPI)」が国立京都国際会館で16日から21日の6日間開催。平和のための宗教協力の原点を確立した。
63歳
「第1回世界宗教者平和会議(WCRPI)」での「ベトナム戦争即時停戦決議」にもとづき、「日宗連ベトナム視察団」として戦火のベトナムを訪問した。
昭和47年
1972
65歳
「第1回宗教者平和会議」の結実である「京都宣言」を具体化し、継続させていくための組織として「世界宗教者平和会議(WCRP)」の日本委員会が発足。初代委員長に就任する。
昭和51年
1976
69歳
「ユニクェスト・シュバイツァー賞」受賞。アルバート・シュバイツァー博士の生誕100年を記念して創設され、毎年、人道支援や教育、国際貢献、文化など各分野で顕著な功績をたたえるもの。
69歳
アジア地域を包括する「第1回アジア宗教者平和会議(ACRPI)」に出席のため、シンガポールへ。
昭和53年
1978
71歳
軍縮に関する国連の特別会議「第1回国連軍縮特別総会(SSDI)」に出席のためニューヨーク国連本部へ。WCRPの代表として、平和と軍縮の必要を訴える。
71歳
財団法人「庭野平和財団」(現・公益財団法人庭野平和財団)を設立。
昭和54年
1979
72歳
宗教界のノーベル賞といわれる「テンプルトン賞」を受賞。
(ロンドン郊外・ウインザー城)
72歳
『朝日新聞』紙上(「論壇」)で、「一食を捧げる運動」の国民運動化を呼びかける。