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開祖 (19780612A) 国連本部会議場演説
【音声】
開祖 (19780612A) 国連本部会議場演説
1
...法話コード=開祖-1978-06-12-A 先生名=庭野日敬開祖会長 行事名=国連軍縮特別総会で宗教者として提言 日 時=1978(昭和53)年6月12日 録音分=14分 場 所=国連 出席者= 掲 載=『』 見出等 ...
開祖 (19780612A) 国連本部会議場演説
2
...○庭野開祖会長 (咳払い)この特別総会が、世界宗教者平和会議の一員であるわたくしに、提言の機会を与えてくださいましたことに対し、まずお礼を申し上げたいと存じます。 わたくしは仏教徒でございますので、仏陀の言葉を引用(「えんよう」と発音)させていただきますが、仏陀はこの世界を称して、「三界は安きことなし 猶火宅の如し」と申されております。人間のあくなき貪欲(とんよく)と、それから生ずる奪い合いや争いのために、人類は自ら苦しんでいるという世界の状態を、仏陀は火宅をもって譬えられているわけであります。 事実、わたくしどもはすでに、広島、長崎において文字どおり、その火宅の苦しみを経験してるにもかかわらず、依然としてこれを反省せずにおることを、仏陀は嘆かわしく思っておるのであります。 われわれ宗教者の過去の歴史は、偏見と憎しみの歴史でありました。しかしわたくしは、宗教の目指すところは一つであるという信念をもっております。ところが、ローマの法皇パウロ六世猊下が、1965年の第2バチカン公会議において、過去2,000年の歴史をくつがえして(「くづかいして」と発音)異教徒のわたくしをお招きくださり、「キリスト教徒が仏教徒のために祈り、仏教徒がまたキリスト教徒のために祈る。宗教者がそのようにならなければ、人類に貢献する道はない」という、そのときのお言葉をわたくしは忘れることができません。 こうして、10年間にわたる宗教協力活動を積み上げた結果、世界宗教者平和会議は誕生し、その国際本部を国連の前に設置致しておるわけであります。そして現在、世界宗教者平和会議は60カ国以上の主たる宗教の代表によって組織され、戦争の放棄、さらに一歩すすめて、戦争を起こしかねない条件の排除を大きな目的として、努力を致しておるのであります。 京都で開催されました第1回世界宗教者平和会議では、「軍備に基づいて築かれた社会は、正義に基づいた社会を否定するものである。よって、軍縮の達成なくして真(しん)の平和もまたあり得ない」と、宣言を致したのであります。 わたくしども、仏教徒、神道(「しんどう」と発音)、キリスト教徒、ヒンズー教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒など、などをはじめとする世界の宗教者は、おのおのみずからの宗教的伝統を大切にするとともに、世界平和実現のために、宗教者に共通の真理、倫理的洞察に基づいて、世界の政治家が行動されんことを心から願う(「ねごう」と発音)ものであります。 かかる観点から、世界宗教者平和会議は国連の諮問機関として加盟し、わたくしどもの事務総長ホーマー・ジャック氏は、国連本部に、いー、(咳払い)本部の軍縮、NGO委員会の発足(「はっそく」と発音)以来、その議長を務めているわけであります。...
開祖 (19780612A) 国連本部会議場演説
3
... さて、わたくしどもは、日本およびベルギーで開催されました、過去2回にわたる世界宗教者平和会議の精神に基づいて、行われた軍縮への根本的アプローチについて提言したのであります。 1、宗教者としてわたくしどもは、軍備(咳払い)競争の終結のために活動している世界の外交官に対し、いまや、計画的、偶発的、もしくはテロ行為による核戦争の危険性がきわめて増大しつつあることを訴えたい。わたくしどもの会議の言葉を引用するならば、「人類が核による絶滅におびやかされている現在、人類は軍備競争によって滅亡する前に、人類が軍備競争を終わらせなければならない。最も基本的な人権とは、人類がその生活を持続することにほかならない」 2、宗教者としてわたくしどもは、軍縮問題がいかに複雑な技術的問題であっても、究極的には心の問題と倫理的決断を待つほかはない。生命(せいめい)の尊さを無視するような政府の決定は、いかに巧みな表現を使う(「つこおう」と発音)とも、わたくしどもをあざむくことはできない。 3、宗教者としてわたくしどもは、世界の為政者、特に偉大なるカーター大統領閣下、ブレジネフ書記長閣下に(「む」と発音)対し、危険を冒してまで武装するよりも、むしろ平和のために危険を冒すべきである、ということを申し上げたい。わたくしどもは軍縮に向かって、あらゆる国で運動が展開されんことを切望する。 4(し)、宗教者としてわたくしどもは、平和の、平和を希求する人々の団結を願う(「ねごう」と発音)ものである。平和を願う(「ねごう」と発音)わたくしどもの祈りは静寂であり、その声はささやかであり、影響力は小さいかもしれませんが、すべての人々が世界平和を渇望し、第三世界は軍備競争の終えんがもたらす経済的成果を待望しております。 5、わたくしどもは、世界の安全が力による恐怖の均衡ではなく、新しい価値観に基づく(「もとざく」と発音)ものでなければならぬことを提案する。世界に1万5,000以上の戦略核兵器が存在する現在、いかなる国も、人間も決して安全ではあり得ない。 6、従って、もし人類が今世紀、生き残るとするならば、全面的完全軍縮の実行以外にはあり得ない。目下、進められている軍縮に関する各種の計画は、まだ、軍縮というよりも抑制の域を出ないものであるが、やがては全面的完全軍縮への橋渡しとなるでありましょう。そして武器によるどう喝をもって政治を行う(「おこのう」と発音)ことの愚かさを反省していただきたい。 7(なな)、NGOの宗教者として、この特別総会に向けて努力された非同盟諸国に対し、称賛の意を表するとともに、このNGOと国連における軍縮問題との関係が制度化されんことを心から願う(「ねごう」と発音)ものである。...
開祖 (19780612A) 国連本部会議場演説
4
...さらにわたくしどもは、国連が核軍縮の問題を最優先されんことを強く主張する。また、わたくしどもは、核拡散防止条約第6項の履行が、倫理的、道徳的、宗教的にも一致しているという理由から、これを優先されんことを提案する。 すでにご承知のごとく、目下、日本代表団によって広島、長崎の被爆写真がこの国連内に展示されておりますが、その悲惨(「ひざん」と発音)さは目を覆うものがございます。日本から持参されたそれらの写真の何枚かは、あまりにも、ひ、悲惨(「ひざん」と発音)さのゆえに、展示を遠慮してほしいという要求があったと聞いております。しかし、その地獄の苦しみの様相から、どうか目を背けないでいただきたい。 この特別総会の宣言草案にもあるごとく、わたくしどもは武装を解除しなければならない、さもなくば滅亡あるのみである、という言葉をいま一度、思い起こしていただきたい。 わたくしどもは国連がさらに強化され、この混乱した世界に法の秩序(「つつじょ」と発音)をもった、もたらす能力をもっていることを確信しておる。そしてわたくしどもは、それぞれの宗教と教団の信者をあげて、この歴史的な国連特別総会が、有意義に成果を収められるように祈って(「いぬって」と発音)おります。そして、国連加盟諸国が現状の流れを変え(「かい」と発音)、平和と真(しん)の進歩のために立ち上がることをもあわせて、祈願致す次第であります。 最後にわたくしは、核の廃絶は夢物語であるという人々に対し、故人の深い洞察の言葉を贈りたい。すなわち、「あらゆる、ひ、人が心の底から願う(「ねごう」と発音)ことは、決して実現不可能なことではない」という言葉と、日蓮聖人の「法華経行者の祈りのかなわぬことあるべからず」という言葉、さらに仏陀の、いま、この、さんが、(咳払い)此の三界は 皆是れ我が有なり 其の中の衆生は悉く吾が子なり 而も此の処は諸の患難多し 唯我一人のみ 能く救護を為すと、「一天四海 皆帰妙法」、万法はみな一つから出ておるのである、「天壌無窮 異体同心」、天地とともに窮(きわ)まりなく、すべての人の心は同じくしなければならない。全人類が心を一つになって世界平和を祈れば、天の救いの主(ぬし)である、主(ぬし)は必ずわれわれを守護したもうことを教えているのであります。全人類が一つの心になるためには、世界政府の樹立が必要であり、世界政府が樹立すれば核兵器など無用の長物となる。そこでわたくしは、全世界の為政者に対し心の改心を願い、人類の未来を信じつつ、神仏のご加護を祈り、わたくしの提言を終わります。ご清聴、ありがとうございました。...
人間釈尊51
【機関紙誌】
心身の大医王・釈尊
人間釈尊51
心身の大医王・釈尊
1
...人間釈尊(51) 立正佼成会会長 庭野日敬 心身の大医王・釈尊 「手当て」で病比丘が快癒 前回に引き続き、釈尊が名医であられたことについて、もう少し述べてみましょう。 祇園精舎におられた時のことです。比丘たちはみんな町の居士(こじ=在家の男性信者)の屋敷に招待され、精舎はガランとしていました。釈尊はおひとりで比丘たちの房を見て回られました。 ところが、ある部屋で病気の比丘が、自分のもらした大小便にまみれながらうんうん呻(うな)っていました。世尊が、 「どうしたのだ。どこが悪いのか」 とお尋ねになると、 「腹病でございます。苦しくてたまりません」 「だれも看病してくれる者はいないのか」 「はい。わたくしがいつも他人の世話をしたことがございませんので……」 「そうか。よろしい。わたしが治してあげよう」 世尊はさっそく比丘の傍らに座られ、その身体に手を当ててさすっておやりになりました。すると、たちまち苦痛は去り、心身共に安らかになりました。 これは、十誦律巻二八に出ている実話ですが、世尊が触手療法の名手でもあられたことを物語っています。大聖者にはこのような能力が具わっており、イエス・キリストも患者の頭をなでられただけで、病気を退散せしめられたことが、聖書に明記されています。 また、言葉だけで病気を治された例もたくさんあります。キリストが、足なえの人に「立って歩め」と言われたら、即座に足が立ったことが、これまた聖書にあります。 釈尊も、前(35回)に書きましたように、気の錯乱したバターチャーラーという女に、 「妹よ、気を確かに持て」 と言われたその一言で、たちまち正気に返ったという記録があります。 ところがわれわれ凡夫にも、キリストや釈尊のような大聖者には及びもつかないけれど、そうした能力が潜在していることを知っておくべきでしょう。 頭が痛ければ、ひとりでに額を押さえます。「手当て」という言葉はそこから出ているといわれています。また、言葉の力にしても、病人に対する心からの励ましの言葉がどれぐらいその生命力を鼓舞するか、計り知れないものがあるのです。 現実の功徳の大切さ さて、さきの病比丘に対する釈尊のその後の処置が、これまた実に尊くも有り難いものでした。 やおら病比丘を助け起こし、外へ連れ出された世尊は、顔じゅうの唾や鼻水をふき取られ糞にまみれた衣を脱がせて洗濯した衣に着せ替えておやりになりました。また、部屋もきれいに掃除され、新しい草を敷いてその上に座せしめられました。そして、次のようにお諭しになりました。 「そなたは今後、人間としてのまことの道を求めることにもっともっと励むのだよ。それを怠れば、またこのような苦痛を覚えることがある。精進第一と心がけよ」 その比丘は心の中につくづくと考えました。(あえて原文のまま記しましょう) 「『いま仏の威神力を以て、我が身を摩するに当(まさ)に手を下したもう時、我が身の苦痛即ち除療し身心安楽なり』と。是の比丘、仏の大恩を念じ、善心を生じ、清浄の位を得、種々願を立つ」 この比丘はついに阿羅漢(一切の煩悩を除き尽くした人)の位を得たといいます。 この一連の経過は、われわれ後世の仏弟子としてよくよく吟味し、見習わなければならないことだと思います。 題字 田岡正堂/絵 高松健太郎...
人間釈尊52
【機関紙誌】
戒律も柔軟に合理的に
人間釈尊52
戒律も柔軟に合理的に
1
...人間釈尊(52) 立正佼成会会長 庭野日敬 戒律も柔軟に合理的に 病人は葫を食べてよい 釈尊教団にはたくさんの戒律がありました。毎度説明しますように、「戒」というのはもともと「良い生活習慣」という意味で、それを身につけることによって次第に人格を向上せしめようという目的の定めでした。「律」というのは教団の秩序と、清潔と、平和を維持するための掟(おきて)でした。 その「律」にしても最初から制定されたものではなく、比丘たちの中でよくない行為をしたものがあるごとに、世尊が「今後こんなことをしてはならぬ」と戒められたことから起こったもので、いわば自然発生的な掟だったのです。 それだけに、一部の基本的な「律」は別として、日常生活に関する細かい定めはけっして絶対的なものではなく、お釈迦さまは時と、人と、場合に応じて一時的にお許しになったり、永久的に改変されたりしました。そのように、大変柔軟で合理的なお心の持ち主でもあられたのです。その二、三例をあげましょう。 ある比丘がやせこけて寝込んでいるのをごらんになった世尊が、 「どうしてそんなにやせ衰えているのか」 とお尋ねになりますと、 「どうにも食欲がないのでございます」 「何か特別に食べたいものはないかね」 「わたくしは俗人でしたころ葫(ニンニク)を常用しておりましたが、こちらでは禁止されておりますので……」 ニラとかネギとかニンニクの類は強精作用があって修行を妨げるのでタブーとなっていました。しかし、体力の衰えた病比丘となれば、それがプラスに作用することを世尊はちゃんとご存じだったのです。そこで、即座に全教団に布令されました。 「今日より病比丘に限ってニラ・ニンニクの類を食することを許す」と。 温かい慈悲と透徹した智慧 世尊が鹿野苑に滞在しておられたときのことです。比丘の中に病人が続出し、六十人にも達しました。在俗のとき医師だった比丘がいて、懸命に看護していましたが、肝心のその医比丘が疲労こんぱいしてしまいました。お釈迦さまが心配され、 「そなたが寝込んだら病人たちが困る。なにかそなたが過労に陥らない手だてはないものかね」 と尋ねられました。すると、 「けっして看病疲れではございません。ここからハラナイ(ベナレス)の町までは半由旬(はんゆじゅん=約二キロ)ありますが、毎日薬を求めに行くのに疲れるのでございます」 という答えでした。 「そうか。薬は買いためて何日ぐらい保(も)つものかね」 「生酥(ミルク)・酥(チーズ)・油・蜜(みつ)などの類ですから、七日間は保ちます」 教団の掟としては、食物を蓄えることを固く禁じていました。物に対する執着心を起こさせないためだったのでしょう。しかし、六十人もの病人を助けるためとなれば話は別です。世尊はただちに、 「病気の比丘のための薬は七日間に限って蓄えることを許す。ただし、七日を過ぎたら残りは必ず捨てること。けっして服用してはならぬ」 と命ぜられました。 お釈迦さまは仏陀であると同時に、あくまでも人間であられました。そして、人間を限りなく愛するお方でありました。とりわけ、病者をいたわる慈悲心はことさら深かったようです。 その慈悲心も、透徹した智慧に裏打ちされたものであったことに、われわれは深い感銘を覚えざるをえません。 題字 田岡正堂/絵 高松健太郎...
人間釈尊53
【機関紙誌】
初めて五戒を授けられた人
人間釈尊53
初めて五戒を授けられた人
1
...人間釈尊(53) 立正佼成会会長 庭野日敬 初めて五戒を授けられた人 人間はこうあるべきだ ダンミカは非常に熱心な在家信者でした。あるとき五百人もの仲間を連れて祇園精舎にお参りし、お釈迦さまに、在家の仏教者はどういう生き方をするのが最高であるかをお尋ねしました。お釈迦さまは次のようにお説きになりました。 「第一に、生きものを殺してはならない。他の人に殺させてもならない。また、人が殺すのを容認してもならない。 第二に、与えられないものを、他の人の物と知って、これを取ってはならない。また、他の人が盗むのを容認してはならない。 第三に、性行為を慎むことである。すくなくとも、他人の妻と通じてはならない。 第四に、集会の中で、あるいは人と対しているとき、嘘(うそ)を言ってはいけない。人びとが嘘を語るのを容認してはならない。 第五に、酒を飲んではならない。人に飲ませてもよくない。(薬として飲む酒は除くとして)酒は人を狂わせるからである」 そのほかにも、いろいろと教えられましたが、最後に、 「正当な商売をしなさい。そうして正しく得られた財をもって父母を養うことである。以上のように行じて放逸を慎むならば、死んでから自光(自ら光を放つ)という神々の住む天界に生まれるであろう」 と締めくくられました。 これは、最も古いお釈迦さまの言行録であるスッタニパータに記録されていることですから、俗人への戒めの原点である五戒を初めてうかがったのは、おそらくこのダンミカでありましょう。 臨終のダンミカ そのダンミカはどのような一生を送り、どんな死を迎えたか。中村元先生著『人間釈尊の探求』にはこう述べられています。 ダンミカは仏の教えをよく守り、毎日のように修行僧のために食事や日常用品を布施し、また、妻や子も深く仏教を信じていたので、円満で幸せな生活を送っていました。 そのうち病を得てそれが重くなり、いざ死に臨もうとしたとき、お釈迦さまにお願いして修行僧に枕元で心の静まるお経を読んでもらいました。お経が始まるとダンミカは、 「待ってくれ、待ってくれ」 と叫ぶのでした。妻や子たちは、「ああ、どんなに仏教を信じていても、やっぱり死ぬのは恐ろしいのか」と、嘆き悲しみました。ダンミカがそう叫んだきり息を引き取ったように見えたので、修行僧は読経をやめて帰って行きました。 そのとき、いままで意識のなかったダンミカがふっと息を吹きかえし、妻や子たちが泣いているのを見て、「どうしたのか」と尋ねましたので、「あなたが、待ってくれ、待ってくれと叫び声をあげたので、やっぱり死ぬのは怖いのだろうと思って泣いていたのです」と答えました。するとダンミカはこう言ったのです。 「そうではない。読経が始まるとすぐ天人が枕元にやってきて『私たちの世界は楽しいですよ。早くいらっしゃい』と声をかけたのだ。だけど私は、もっとお経を聞いていたかったから、『待ってくれ、待ってくれ』と言ったんだよ」 そう言い終えると、静かに大往生を遂げました。ダンミカは兜率天(とそつてん)に生まれたということです。ともあれ、ダンミカこそは在家仏教徒の最高の典型だと言っていいでしょう。 なお、この五戒は、混乱を極めた現代において新しく見直さなければならぬ戒めであると、わたしは信じています。 題字 田岡正堂/絵 高松健太郎...
人間釈尊54
【機関紙誌】
懺悔は大いなる善
人間釈尊54
懺悔は大いなる善
1
...人間釈尊(54) 立正佼成会会長 庭野日敬 懺悔は大いなる善 舎利弗を讒訴した比丘 お釈迦さまが成道されてから四十年ほどたったころの出来事です。夏安居(げあんご=雨期の三ヵ月間一ヵ所にとどまってする修行)を終わった舎利弗が、お釈迦さまのお許しを得て布教の旅に出かけました。 舎利弗が祇園精舎を出て行った直後に、一人の比丘がお釈迦さまのもとへ来て、 「世尊。舎利弗長老は私をさんざん侮辱して旅に出ました」 と申し上げました。世尊は傍らにいた比丘に、 「急いで舎利弗を呼び返しなさい」 と命じられ、阿難に、 「すべての比丘たちに、これから舎利弗が説法をするから講堂に集まるように伝えなさい」 と言いつけられました。 一同が講堂に参集した時、舎利弗も戻ってきました。お釈迦さまは舎利弗を正面に座らせて、お尋ねになりました。 「そなたが出かけたあと、一人の比丘が来て、そなたにさんざん悔辱されたと告げたが、それは本当か」 舎利弗は立ち上がって深々と一礼し、 「世尊、私は今年八十歳になろうとしておりますが、殺生したおぼえもなく、嘘をついたことも、他人の悪口を言ったことも、記憶にございません。もしそんなことがあったとしたら、ずいぶん心が乱れていた時のことでしょう。しかし、きょうは夏安居を終えたばかりで、心は澄み切っております。どうして他人を悔辱などすることがありましょう。世尊。大地はどんな不浄な物でもそれを受け、逆らうことをしません。大小便でも、痰(たん)や唾(つば)でもそれを拒否しません。世尊。水はよいものでもよくないものでもそれを受け入れて洗い清めます。きょうの私はそのような気持ちでおります。もし誤ってある比丘を悔辱したのであれば、この場で彼に懺悔いたしましょう」 真心からほとばしる舎利弗の熱弁に、並み居る一同深く感動しました。例の比丘は、真っ赤な顔をしてうつむいていました。 懺悔は仏法の一大事 お釈迦さまはその比丘に対して、 「いまの言葉を聞いたか。そなたこそ懺悔しなければならないのではないか」とおっしゃいました。その比丘はブルブル震え出し、 「世尊。悪うございました。どうぞわたくしの懺悔をお受けくださいませ」 「いや、わたしにではなく、舎利弗に向かって懺悔しなければならないのだ」 そこで、その比丘は舎利弗の足に額をつけて礼拝し、涙ながらに言うのでした。 「私は、あなたがあまりにも智慧にすぐれ、世尊のご信頼が厚いのに妬(ねた)み心を起こし、ついに讒言(ざんげん)の罪を犯してしまいました。どうぞお許しください」 舎利弗は、その比丘の頭を優しくなでながら、 「懺悔は仏法の中でも最も大切な行いの一つで、広大な意義を持つものです。過ちを懺悔することは大いなる善です。よく勇気を出して懺悔しましたね。わたしはあなたの懺悔を快く受けますよ」 と言いました。 お釈迦さまはお口もとに微笑を浮かべながら、その光景を眺めていらっしゃいました。そして、美しいその結末をごらんになって、何度もうなずかれたのでした。 じつはお釈迦さまは、初めからその比丘の訴えが嘘であることを承知していらっしゃったのです。しかし、ちょうどいい機会だとお考えになり、わざわざ一山の大衆を集めて懺悔ということの尊さを見せしめられたのでありました。 題字 田岡正堂/絵 高松健太郎...
人間釈尊55
【機関紙誌】
舎利弗と羅睺羅の忍辱も
人間釈尊55
舎利弗と羅睺羅の忍辱も
1
...人間釈尊(55) 立正佼成会会長 庭野日敬 舎利弗と羅睺羅の忍辱も 異教徒に打たれた舎利弗 舎利弗がお釈迦さまのお弟子になってから間もないころのことです。一緒に入門した親友の目連と霊鷲山の洞窟にこもって修行をしていましたが、ある日、舎利弗が外へ出たところへ、カタという鬼とウパカタという鬼(雑阿含経の本文には「鬼」とありますが、おそらく凶悪な異教徒だったのでしょう)が現れて、ウパカタのほうがいきなり舎利弗をなぐりつけました。舎利弗の顔が一瞬ゆがんだほどの怪力でした。 物音を聞きつけて目連が飛び出してみると、舎利弗が顔をおさえています。 「どうした……」 「うん、ウパカタになぐられた」 「痛いだろう。大丈夫か」 「ものすごく痛いが、平気だよ」 「舎利弗、君はすごいね。あの鬼が岩を打てば岩は糠(ぬか)のように砕けると聞いている。それなのに大した傷も受けず、平気でいる。君の徳の力が偉大なことの証拠だよ」 と目連は賛嘆しました。 後でこのことを聞かれたお釈迦さまは、次のような偈を詠まれて舎利弗をおほめになりました。 心、金剛のごとく 堅くして動かず 己れに執(しゅう)する心なければ 怒って打つ鬼の力も及ばず かくのごとく心を修むれば 苦痛も何であろうか 忍辱ほど快いものはない 後年、お釈迦さまがひとり子の羅睺羅を出家せしめられた時、幼い羅睺羅を舎利弗に預けられたのは、舎利弗がたんに「智慧第一」といわれるほど頭脳明晰だったばかりでなく、このような「徳の人」でもあったからでありましょう。 因縁の不思議といいましょうか、その羅睺羅も養い親と同じような目に遭ったことがあるのです。 ある朝、羅睺羅は舎利弗のあとについて王舎城の町を托鉢していました。すると、一人の男が飛び出してきて舎利弗の鉢の中へ砂を投げ入れ、十歩ばかり後ろを歩いていた羅睺羅の顔をなぐりつけました。当時まだ新興宗教だった仏教の修行者は、往々にしてこうした暴行を受けたのです。 舎利弗が振り返ってみると、眼の上あたりが切れて血が流れています。逃げて行く悪者を追いかけようともせず、すぐ羅睺羅の所へ駆け寄って舎利弗は、 「痛かっただろう。だがね、世尊の弟子であるからには、どんなことがあっても怒ってはならないんだよ。いいかね」 「ハイ」 「世尊はいつも、慈しみをもって衆生を憐れめとお教えになっておられる。そして『忍辱ほど快いものはない』と仰せられている。いいかね、怒りながら我慢するのはほんとうの忍辱ではない。忍辱は快いものだとおっしゃる世尊のご真意を悟らなければいけないよ」 「ハイ。よくわかります」 羅睺羅は小川の流れで血に汚れた顔を洗い、澄んだ眼で舎利弗を見上げながら言いました。 「わたしはあの人を気の毒に思います。あの人は不幸から不幸への暗い道をたどって行くに違いありません。あんな無法な人をどうしたらいいのか、それがわからずに残念です」 羅睺羅の立派さは、もちろん舎利弗の教化の賜です。しかし、われわれはさらに二人の師であるお釈迦さまの偉大さをしのばずにはおられません。とりわけ「忍辱ほど快いものはない」の一語、これほど宗教者の特質を表したことばはないと言ってもいいでしょう。 題字 田岡正堂/絵 高松健太郎...
人間釈尊56
【機関紙誌】
峻厳な一面もあられた
人間釈尊56
峻厳な一面もあられた
1
...人間釈尊(56) 立正佼成会会長 庭野日敬 峻厳な一面もあられた 不公平の黙過をご叱責 お釈迦さまの舎利弗に対する信頼は絶大なものがありました。しかし、あくまでも理性の人であったお釈迦さまは、舎利弗がどんなことをしようともとがめ立てしないといった、愛情におぼれるようなことはなさらなかったのです。 わたしが調べたかぎり、舎利弗がお釈迦さまに厳しく注意されたことが二回ほどあります。 その一つは、ある日、舎利弗を最上座とする比丘の一行が信者の家に招待された時のことです。帰ってきた沙弥(しゃみ=少年僧)にお釈迦さまが、 「どうだったか。みんな満足に施食を受けたか」 とお聞きになりますと、 「満足の者もあり、不満足の者もございました。上座の比丘たちにはおいしいごちそうが出ましたが、わたくしども下座の者には胡麻の搾り粕と菜を煮合わせたのと米の飯だけでした」と、少年らしく率直に答えました。 お釈迦さまはすぐ舎利弗をお呼びになり、 「最上座のそなたが、信者の不公平なもてなしを黙過するとは何事であるか」とお叱りになりました。 舎利弗はただただ恐れ入って引き下がり、食べてきたばかりのごちそうを吐き、ひそかに懺悔の真心を表したのでした。 論難すべきは論難せよ もう一つは、提婆事件に関することです。提婆達多は、国王アジャセの支援もあって、相当数の弟子たちを引き連れてお釈迦さまに背き、別派を立てようとたくらんでいました。そして、教団内に混乱を起こすことを目的として、次のような戒律の改革案を提出しました。 一、比丘は林中に住み、都市の付近に住んではならない。 二、比丘は信者の食事の招待を受けてはならない。 三、比丘は終生ボロをつづった衣を着るべきで、信者の献じた衣を着てはならない。 四、比丘は樹下に眠るべきであって、家の中に寝てはならない。 五、比丘は魚鳥の肉を食してはならない。 しかし、お釈迦さまは――大勢の比丘の中には元気な者もおれば病気がちの者もおり、全部が全部そのような厳しい生活ができるものではない。仏道は心の解脱をこそ求めるものであるから、あまり形式にこだわることはない。戒律も比丘らしい生活から逸脱しないためのものであって、あまり束縛をきつくするとかえって道を求める気持ちを委縮させることになる――というお考えでした。 そこで舎利弗をお呼びになって、 「提婆達多の所に行って、この五則は仏道修行にふさわしくないと徹底的に論破してきなさい」 と命ぜられました。舎利弗はいつになくもじもじしています。 「どうしたのか。何か異論でもあるのか」 「いいえ。世尊の仰せのとおりでございますが、じつはかねがねわたくしは提婆達多の才能を褒めたたえておりましたので、どうもバツが悪いのでございます」 と申します。するとお釈迦さまはキッとしたお顔で、 「褒めるべきことは褒めるのが道理であり、論難すべきことは論難するのが道理である。行ってきなさい」 と決然と仰せられました。舎利弗は一言もなく恐れ入って出掛けて行き、使命を果たしたのでした。 お釈迦さまには、こうした秋霜烈日のごとき一面もあられたのであります。 題字 田岡正堂/絵 高松健太郎...
人間釈尊57
【機関紙誌】
仏縁の種子はいつか芽ぶく
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