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人間釈尊(59)
立正佼成会会長 庭野日敬

人間平等の思想は不滅

どの河の水も海に入れば

 前(36回)の肥くみニーダの話の最後でも触れましたが、同じようなことがナンダの入門のときにも起こりました。
 ナンダはお釈迦さまの異母弟で、浄飯王の後を継ぐべき王子でした。そのナンダが出家して入門するとき、教団のしきたりどおり、先輩の足に額をつけて礼拝していました。
 その途中で、次の先輩の顔を見たとたん、ナンダは困惑の色を浮かべて立ちつくしてしまいました。その比丘がかつて奴隷階級の身だったウパリだったからです。
 ウパリはカピラバストの理髪師でしたが、あるとき頭をそるお客が急に増えたので不思議に思って人に聞くと、シッダールタ太子が仏陀となって帰って来られ、そのたぐいなき人格を慕って出家する人が多いのだということ、しかも釈尊教団では身分の上下を問わず平等に扱われるのだと聞き、喜び勇んで入門したのでした。そうした事情もあり、ひたすら戒律を守って修行しましたので、ついに教団で「持戒第一」と認められるまでになったのでした。
 そのことを知らぬナンダは、元奴隷階級だったウパリの足を拝むなんていくらなんでもできはしないという気持ちだったのです。その様子を見られたお釈迦さまは、
 「ナンダよ。あのインダス河やガンジス河など四大河の水は、河にあるうちは別々だが、大海に流れこんでしまえば同じ海の水になってしまうではないか。そのように、俗世間には四つの階級があるが、わたしの所へ来たら階級の別なんかありはしない。みんな兄弟だ。さあ、ウパリの足を拝みなさい」
 とおさとしになり、ナンダもお言葉に従ったのでありました。

インドで仏教が消えた理由

 仏教がインドで興ったのにインドでは消えてしまった理由については、いろいろな説があります。
 最も常識的なのは、イスラム教徒の侵入による仏教僧の殺りくと仏教文化財の潰滅ということです。しかし、その信仰が民衆の中に深く定着しておれば、日本における隠れキリシタンのようにどこかに残るはずであり、それさえなかったのは、あの酷烈な気候風土のもとに住む人にとって理性的な仏教の教義がふさわしくなかったのだ、という説もあります。
 ところが、意外なことにもう一つ、このナンダがウパリの礼拝を嫌ったような感情の問題が潜んでいるという説も有力になっているのです。
 カースト(身分階級)制は、今は憲法によって形式上はなくなっていますが、潜在的にはまだまだ牢固として残っています。例えば現在でも、ホテルで床(ゆか)の掃除をするボーイは決してベッドなどをいじることを許されません。ベッドメークはほかのボーイがするのです。つまり、ここにも身分の別があるのです。
 しかし、お釈迦さまが打ち出された「人間平等」の大思想は、抜きさしならぬ真理の上に立つものでありますから、いつかは必ずインドの地にも復活するでしょう。その先触れとして、かつてのネール首相は、最下層階級出身のアンベドカル博士を法務大臣に任命しました。素晴らしい業績でした。
 われわれ日本人もこうした問題に無関心であってはならないでしょう。また、身分のことよりもっと広い貧富の差とか、民度の高低とか、文化の相違とかいった面で、第三世界の人々に対する差別感をぬぐい切っていないのではないか……そのようなことを改めて反省する必要があると思いますが、どうでしょうか。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎

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