月日の経つのは早いもので、もう妙佼先生の二十六年忌を迎えております。
先刻は、直接のお導きの子である、もと豊島教会長の保谷さんが、当時の思い出を語っておられましたが、妙佼先生は本当に人の心をお見透しでしたから、保谷さんも、お小言をたくさん頂いた一人だと思います。しかし、そういう修行をさせてもらい、法華経の厳しさを味わっていればこそ、ご主人の亡きあと、一人でお子さんたちを、立派に成長させ、しかも、長年の間、教会長のお役も務められたのです。そして、後進に道を開いて退任された今も、大所高所に立って指導に当たっておられるのです。これも妙佼先生からお叱りを受けた功徳と言って、言い過ぎではないと思います。
大切な先祖への心、姿勢
ところで、方便というものは即、真実につながらなくてはなりません。皆さんもよく勉強しておられますけれども、ちょっとばかり狂いが出ているように思われる点がありましたので、お話しをしておきます。
生まれた家の、苗字の画数がよいとか悪いとかという話が出ましたが、そういうことは問題にならないのです。そういうことを、私は教えた覚えはありません。
仏教というのは因縁を説いているのです。固定したものがあるのではなく、すべては因縁によって常に動いているのだということを、諸法無我というのです。
先祖からの苗字がどうだから、どうなるということではなく、先祖は先祖、そこに生まれた自分が、先祖に対して、どういう心で、どういう姿勢をとるか、これが大事なのです。
過去世で自分が何をしたかという、その元(もと)の因と、現在の出会い、その二つがどういうふうにかみ合っていくかというのが因縁なのです。
ですから私どもにとって、今世の出会いがいちばん大事なのです。過去世のことをクヨクヨしてもはじまりません。
自分の今世の出会いというものをすべて素晴らしいものにしていけば、常に因縁の解決はついていくわけです。
皆さんに「お導きをしなさい」と言うのもそこなのです。今世では初めてであっても、ここで出会うというのは、過去世での縁があったからだ、というのが仏教の考え方です。このような、前世からの因縁があるから、不思議と自分によく似た性格を持った人と導き関係の出会いがあるのです。そして、親子や夫婦でも話せないような、心の奥の本当のことを吐き出すこともでき、それによって幸せになるわけです。〝仏種は縁によって起こる〟といわれるように、だれと出会っても、それをいいことに考えていかれれば、その中に素晴らしいものが発見できるのです。