本日は、妙佼先生の祥月命日にお参りに来ていただきまして、ありがとうございます。
先ほど妙佼先生の声を録音で聞きました。妙佼先生はうまい説法はされないのですが、本当に真剣になって運の悪い人、病気の人、災難に遭った人というような人だけを訪ねて歩き、片っ端から救っていきました。
きょうは、妙佼先生の代わりに言わせていただきますが、昔はとにかく病人を導きますと、毎日行って拝んであげる。そうすると熱が出ない。拝みに行かないと熱が出るというような、まるでお医者さんみたいでした。
当時はまた商売をしていたので配達だけはちゃんとやり、その合間に出ていったのです。妙佼先生も、氷の卸しや、焼いも屋をやっていたので、店の方をできるだけ早く片付けてから人さまの導きに出ていきました。
法華経には、経文のとおりに信じて行じれば功徳がはかり知れないほどあるということが繰り返し書かれています。四十七歳でお医者さんに見放されていた妙佼先生自身が、お導きを受けて一週間後、自分の家とご主人の家の亡くなられた方々に〝生院徳〟の戒名を頂いて過去帳に納められると、それまでの病気もすぐに治り、それからの二十年間、丈夫に活動してくださったのです。
妙佼先生も当時「私がいい証拠だ。病気なんか何もないんだ。本当に仏さまの教えのとおりに行ずれば、皆私と同じように幸福になるんだ」と、よく話していました。
その当時の日本というのは大変貧乏な国でした。その上、満州から中国を攻めて日本の意のままにしようとしたものですから、イギリスやアメリカから経済封鎖をかけられたのです。そのため、日本の経済もやり切れなくなり、戦争にはしりました。
しかし、戦争に負けたことによって本当に反省し、軍隊をつくり、軍隊の力によって国際紛争を解決しようとする政策はとらないこととなった。
そこで、軍備にはお金を使わず、戦争直後の食べるのに困る状態をなんとかしようということで、真心から働いた結果、今日、日本は世界でアメリカに次いで二番目の経済力をもつ国となった。ソ連は軍隊をつくって、戦争の準備をしたりしているから大国であり、戦争したら強いでしょうが、経済力では日本の方が強いのです。
国連の日本に対する扱いにしても、十年前と今とではかなり違っており、国連大学というものも日本にできつつある。そして世界の一流の学者たちが日本に集まると、そういう方たちと触れ合う中で、世界のことがだんだんと日本にわかり、逆に、そういう先生方に日本の真価をご覧になっていただき、これは素晴しい国民だと思って帰っていただけたら、それだけで大変な効果であります。