理屈では人は救われぬ
──すべての宗教に共通する点──
本日は妙佼先生の十九回目の祥月命日を迎えまして、先ほどは妙佼先生のお説法の声も聞かせていただき、またただいまは、新宿教会長さんが、当時のことを話されました。もう三十七年も前のことを、また思い出したわけでございます。
佼成会をたてようという前、霊友会の当時から、新宿教会長さんのお母さんは、同じお医者さんに通う友だちであったそうです。
それと、いつかも申し上げましたように、豊島教会長さん──このお二人は霊友会のときにお導きをされて、佼成会にずっと移行したわけであります。でありまするから、一番妙佼先生の直接の導きでもあり、また三重野さんは向台というところのご近所に住んでいたわけでありまして、一番いろいろのことをたくさん聞いておるわけであります。
先ほど新宿教会長さんがお話になりましたように、三重野さんの家は大人ばかりで、親子三人ですから、妙佼先生のいろいろの指導が案外楽に受けられる境涯であったわけです。ですから、まあ雑誌を読んで、細切れのような説法をたくさんまとめて、りっぱな言葉をずっと並べることもできたし、いろいろぜいたくもできたわけであります。
ところが一方、豊島支部長さんの方は、後から後から、二、三年たつとお腹がふくれて、また子供が産まれたと。(笑声)産むのと手の少ないのと両方ですから、豊島さんの方はなかなか修行がたいへんでございました。変化が非常に多いわけであります。ですから非常にご苦労をされて、そしてまた遠方であるということであります。保谷まで距離が非常に離れておるんですから、遠方であったということです。そういうことで、同じ兄弟弟子でもご苦労の程度といったら、それは大変な差があったと思うんであります。
細谷さんはご承知のように、いまは細谷さんですが、三重野早苗というのですから、三重野でも陰陽に入った十五画の名前なんです。細谷さんにいっても同じことでありますが、十五画の名前の人を皆さんごらんになっていただけば分りますように、私はよく「大ばさみであろうが、まき直しであろうが、十五画という名前はとにかく腐っても鯛だ」と、そういう悪口を言っておるわけです。十五画の名前をもっておれば、いろいろのことが自分の意のごとくになるという、そういう天性をもって、生まれながらに非常に得に生まれておるわけなんです。ですからどうしても、わがままが出てしまう。