シンガポールも全く私どもと同じ考えでいるのです。何と不思議なことだろうと思ったんですが、──日本の宗教連合会・日宗連というのがあります。これは私ども新宗連も加わって、日本の宗教全体が全部、スッポリと加入したという本質的な宗教の連合体とでもいいますか、それが二十五年前にできたのであります。くしくもその同じ年に、シンガポールでも連合体ができたというのです。またシンガポールには、そのなかに仏教が相当あるのですが、その仏教のなかでも、在家教団ができたのが、これまた不思議なことに佼成会の発足した年で、今から三十七年前だというのです。何と不思議なことだろうと思って、私は年を数えてみたんですが、間違いないんです。むこうのほうの話を聞きますと、まさにそういう不思議なご縁があるわけです。
そして、とにかくシンガポールの宗教者の連合体が団結をして、それこそ双手を上げて私どもを、待ちこがれて迎えてくれました。そして是非とも、アジアの宗教者を全部集めた平和会議を、一日も早く開いてほしいというのです。しかも宿はシンガポールがさせてもらいたいと──まあ、こういうことでたいへんな熱意をもって迎えられたのであります。
アジアでは、この間までタイという国などはほとんど仏教国でありまして、国教のような形になっていたのです。宗教が一つでありますから、非常にまとまっていて良い国であったわけです。
ところが最近、ベトナムが陥落致しますと、今度はタイに一番危険な空気が押し寄せてきた。それで信頼があるないということもさることながら、政治的に安定していない状態なんです。アジアの諸国がほとんどそういう状態なんであります。
日本という国は幸いにも、もう三十年間戦争がなくて、平和憲法のもとに「思想の自由」も、まったく自由放題なほどに自由にしていただいて、そして経済がどんどん発展してきた。こういうなかに生きておりますから、私どもは人間としてこれほど幸福なものはないような世の中を、三十年間ずーっと過してきたわけです。そして、そういう状態が続いてどんなことが出てきているかというと──本日のこの盂蘭盆会の話の一番の根源である、人間一人ひとりのエゴというもの──自分の都合だけを考えて、国のためとか、社会のためとかは考えなくなってしまう。そういうところに非常な不安感が生じてくるわけです。私はそのことをつくづくシンガポールにおいて反省させられたわけであります。