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法華三部経の要点 ◇◇62
立正佼成会会長 庭野日敬

感動と慣性が人を大成させる

感動なくして向上なし

 法師品に入りましょう。この品も非常に大切な章です。まず冒頭に「わたしの滅後にこの法華経の一偈一句でも聞いて一念にでも隨喜する者があったら、その者に成仏の保証を授けよう」とおおせられています。「一念も隨喜せん者」とは、一瞬のあいだでも心から「ありがたい」と深く感動する人ということです。
 この感動ということが信仰のうえばかりでなく、世間でひとかどの人物となるための重大な踏み切り台となるものですから、ここでじっくりと考えてみることにしましょう。
 わが国最初のノーベル賞受賞者湯川秀樹博士が理論物理学の道へ進まれたのは、旧制高校生時代に来日したアインシュタイン博士の講演を聞いて感動したのが、そもそものきっかけであることは有名な話です。
 ガンジー翁がサチャグラハ(非暴力不服従運動)によってインドの独立を達成したのも、もともとは一冊の本を読んで感動したことに始まっているのです。今から約百五十年前、アメリカにデーヴィッド・ソーローという哲人がいました。ソーローは人里離れた湖のほとりの小屋で、自給自足の仙人のような生活をしていました。ところが当局はかれに税金を課したのです。かれは税金を納める理由はないと拒否し、投獄までされましたが、自説を曲げることなく『非暴力反抗』という本を書いて闘いつづけたのです。
 ガンジー翁が読んだのはその本でした。そして、それに示唆されてサチャグラハ運動を起こしたのです。たった一冊の本を読んでの感動がインド数億の民衆を救ったのでした。

初隨喜を伸ばすエンジンは

 あるものごとを見たり、聞いたり、本を読んだりして感動を覚えても、それをそのままにほうっておいたのでは、けっして大きな実は結びません。感動(信仰でいえば一念隨喜=初隨喜)は心に一つの方向を与えたものですから、その方向への動きを伸ばしていかなければならないのです。それが修行です。
 物理の法則に慣性というのがあります。物体がある方向へ動き出したら、ずっとその運動を持続しようとする性質が慣性です。心もそれと同じで、ある方向へ向かって動き出したらそれを持続しようという性質があるのです。しかし、車もエンジンの力を借りなければ大地の摩擦で次第に止まってしまうように、心にもエンジンの力が必要なのです。そのエンジンこそが修行なのです。
 法師品には、そのエンジンを五つに分けて説いてあります。すなわち、受持・読・誦・解説・書写です。受持の受というのは、教えを深く心に信ずることで、つまり帰依することです。持というのは、その帰依の心を固く持ちつづけることです。読というのは経典を読むこと。誦というのは声を出して読むことと、それをそらんじる(暗誦する)ことをいいます。
 解説というのはひとに解説してあげることです。これはもちろん教えを説きひろめるためのものですが、同時に教えに対する自分の理解を深めるためにもおおいに役立つのです。ひとに説いてあげるためにはどうしてもしっかり勉強し直す必要があるからです。書写というのには二とおりの意味があります。一つは経典の一字一字をていねいに書き写すことによって自身の信解(しんげ)を深めること。一つは、文書その他のメディアを通じて教えを広宣流布する行為です。
 これらの修行をたゆみなくコツコツと続けることによって、最初に起こした感動(初隨喜)はその慣性によってまっすぐ成仏の方向への進行をつづけていくのです。これは、世間一般のものごとのうえにおいても人を大成におもむかせる、あるいは大事業を達成させる不可欠の要件なのであります。よくよく心得ておきましょう。
                                                     

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