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法華三部経の要点 ◇◇113
立正佼成会会長 庭野日敬

観普賢経の重要な言葉(一)

真の慈悲は大乗の精神から

 このお経には、見逃してはならない重要な言葉がたくさんあります。その中でも最も重要だと思われるものについて簡単に解説しておきましょう。
 方等経典は為(こ)れ慈悲の主なり。
 「方」というのは正しいということ。「等」というのは平等ということ。大乗の教えは、中道の道理が方正であり、また、すべての人間がその本質においては平等であることを説くものですから、方等経典というのは大乗経典の別名なのです。
 ところで、大乗経典の核心となる真実は、すべての人が平等に仏性を持っているということです。もっと掘り下げていえば、人間以外の動物も、植物も、無生物もすべて、もともとは久遠実成の本仏に生かされている平等な存在である、ということです。
 このことを心の底から悟ることができれば、すべての人間・動植物・無生物、つまり全環境に対する愛情が、おのずからわいてこざるを得ません。そのような広大な愛情を慈悲というのです。
 そういった慈悲は、大乗の教えをしっかりと学ぶことによって生ずるのですから、まさに方等経典は慈悲の主であるわけです。
 身は為れ機関の主 塵の風に随つて転ずるが如し 六賊中に遊戯(ゆけ)して 自在にして罣礙(さわり)なし
 現代語に訳しますと「人間の心身は、いろいろな働き(機関)をするものであるが、その働きが周囲の事情によってどうにでも変化することは、まるでチリが風に飛ばされるようなものである。その中には、六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)のわがままな欲望が、思う存分に暴れ回っているのである」というのです。
 凡夫の心身のありさまをまったく如実に、文学的に表現してある名句です。そして、そのすぐあとに、そういった心身の混乱をおさめるには「大乗経を誦して 諸の菩薩の母を念ずべし」と説いてあります。菩薩の母というのは、万人・万物に対する平等な慈悲心のことです。

「信」がここまで極まれば

 今日方等経典を受持したてまつる、乃至失命し設(たと)い地獄に堕ちて無量の苦を受くとも、終(つい)に諸仏の正法を毀謗(きほう)せじ。
 現代語に訳しますと「今わたくしは大乗の教えを受持いたします。万一そのために命を落とすことがありましょうとも、あるいはまかり間違って地獄に落ちて無量の苦しみを受けることがありましょうとも、ぜったいに諸仏の説かれた正法をそしるようなことはいたしますまい」。
 信心の一念はここまで徹底したものでなくてはなりません。目前の現世利益だけを目的として信仰している人は、なにか不都合なことが起こればすぐ疑惑を起こしたり、退転したりするものです。そうしたレベルにとどまっている人は結局救われない人なのです。
 親鸞上人も「たとい法然聖人にすかされ(欺され)まいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう」とおっしゃっています。これは、教えに対する「信」でもあり、それを教えられた師に対する「信」でもあります。「信」の極致といっていいでしょう。


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