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法華三部経の要点 ◇◇29
立正佼成会会長 庭野日敬

古びた屋敷とは今日の地球か

心も手入れをしなければ

 法華経は文学性においてもあらゆる仏教経典中の随一といわれていますが、中でも譬諭品『三車火宅の譬え』の偈は二十八品中の圧巻でありましょう。その冒頭にこう述べられています。
 「ここに長者があって、大きな屋敷をもっていたとしましょう。その家はたいへんに古び、こわれかかっていました。建物は高くそびえてはいますが、柱の根は砕け腐り、梁(はり)や棟は傾きゆがみ、石段は崩れ、垣根や壁は破れ、壁土やしっくいは剥(は)げ、屋根をふいた苫(とま)も乱れ落ち、垂木(たるき)や庇(ひさし)は抜けかかり、屋敷のまわりの土塀は曲がりくねっていました」
 これは末世の人間の心のありさまを描写したものです。家屋敷は、住んでいる人が手まめに掃除したり手入れしたりしておれば、古くなってもそれなりの風格を保っているものです。世界でいちばん古い木造建築である法隆寺の、あの底光りのするような美しさがそのことをよく物語っています。
 ところが、住んでいる人が掃除や手入れを怠っていますと、当然この文章にあるように荒れ果ててしまいます。人間の心も同様です。ですから、絶えず正しい教えを聞いたり読んだりして、それを日々のくらしの上に実践し、過ちや至らないところがあったらそれを反省して、コマメに掃除や手入れをすることが絶対必要なのです。

一般人の自覚と行動こそ

 そうした心の荒廃ばかりでなく、実際にわれわれが住んでいるこの地球が、二十世紀末の今日、この文章にえがかれているように荒れたものになりつつあるのではないでしょうか。法華経は五五百歳後の世への警告の経典だという説もありますが、その説が当たっているふしも大いにあるように思われます。
 「建物は高くそびえてはいるが」というのは、文明というものが高く大きく発達したことを象徴していると考えていいでしょう。しかし、残念ながらその土台は腐っているのです。いわゆる文明のおかげで、人類は「より早く」「より楽に」「より大量に」交通したり、生活したり、生産したりできるようになりました。ところが、そのような生き方は、半面、大気・水体系の汚染や、地球の温室化や、酸性雨による森林の立ち枯れや、化学肥料による土壌のやせ細りや、砂漠化の進行など、人類の運命そのものにかかわる恐ろしい事態を引き起こしつつあります。
 一部の心ある人びとはそうした事態に危機を痛感して何とか打開の道を講じようとしていますが、大部分の人びとは相変わらず「より早く」「より楽に」「より大量に」の生き方を当然のように享受しているのです。あたかも古びた大きな屋敷の中で遊び戯れている子どもたちのように。このままではいつ「大火(決定的な事態)」が起こって人類自滅ということにもなりかねません。
 もちろん、進歩に進歩を重ねる科学技術も、国の政治も、国際機関も、けんめいにそうした危機防止の手段を考究しているでしょう。しかし、人類の大部分を占める一般人に、そうした自覚と、反省と、少欲知足の生き方への転換がなければ、この滔々(とうとう)たる大勢を食い止めることは不可能でしょう。さきごろテンプルトン賞を受賞されたヴァイツゼッカー博士も「(過去の歴史においても)まったく禁欲しない社会は数世代で滅びてしまった。最低限の禁欲、富の放棄ということは、文化の安定性に絶対に必要である」と語っておられました。
 火宅の中の子どもたちも、自ら門外に走り出ることによって救われました。この教訓を二十世紀末のわれわれも、腹の底にしっかりと受けとめなければならないのではないでしょうか。
 

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