法華三部経の要点 ◇◇4
立正佼成会会長 庭野日敬
仏の本体は宇宙の大いなるいのちである
無量義経とはどんなお経か
では、いよいよ本文に入りましょう。
法華三部経とは、無量義経(むりょうぎきょう)・妙法蓮華経・仏説観普賢菩薩行法経(ぶっせつかんふげんぼさつぎょうほうきょう)の三つの経典をいいます。
無量義経は、お釈迦さまが妙法蓮華経をお説きになる直前に、おなじく霊鷲山でお説きになったものです。このお経を説き終わられてから長い三昧(さんまい=心を一つのことに定めてなす瞑想)に入られ、その三昧を終えてから、いよいよ妙法蓮華経を説き始められたわけで、いわば妙法蓮華経の序曲ともいうべきお経です。
ですから、むかしから妙法蓮華経の「開経」と呼ばれ、まずこれから学び始めるのが正しい順序とされてきました。
では、このお経の題名の無量義とはどんな意味かといいますと、このことばには次のような意味があります。
つまり、「数限りない意味をもった教え」ということです。しかし、このことだけでは、このお経の題名である無量義ということばの意味としては不十分です。
さらに、「その数限りない意味をもった教えは、ただひとつの真理から出てくるのだ」ということまでいわなければ、本当の意味にはなりません。
では、そのただひとつの真理とは、いったいどのようなものなのでしょうか。それをこのお経では「無相」であるといっているのです。そして、その無相とは「実相」と名づけられるものであるというのです。
いきなり難しいことを言い始めたようですけれども、仏さまの教えはすべてこの「実相」の悟りにもとづくものですので、難しくてもまず右に述べたことをいろいろと考えめぐらしてみてください。わかったようでもあり、わからぬようでもある……ぐらいで結構です。あとでだんだんわかってくるのですから。
仏さまのお徳の偉大さ
さて、その無量義経の第一章は「徳行品」(とくぎょうほん)ともうします。この品は、大荘厳(だいしょうごん)菩薩というお方が、仏さまの完全円満なお徳と、衆生をお救いくださる慈悲行の素晴らしさを賛嘆もうし上げる章です。
まず、仏さまの法身(ほっしん)についてほめたたえます。法身というのは、仏さまの本体であり、久遠実成(くおんじつじょう)の本仏とももうします。すなわち、この宇宙のあらゆるところに充ち満ちている大生命ともいうべきものであり、この世のすべてのものを生かしてくださっている久遠のいのちをもつ本仏のことです。
大荘厳菩薩は「其の身は有に非ず亦無に非ず 因に非ず縁に非ず自他に非ず」などと哲学的な表現をしていますが、つまるところは、久遠実成の仏さまは、無始、無終の存在であられ、つねにわれわれと共にいてくださり、天地の万物を生かしてくださっているお方であるということなのです。
お釈迦さまが、このむずかしい真実を、一般の人々になっとくさせるために、譬え話やその他のさまざまな形をとってわかりやすくお説きになったのが妙法蓮華経にほかなりません。ですから、大荘厳菩薩のこのことばは、法華三部経のいとぐちとして、大衆に向かって宿題を投げかけたものといっていいでしょう。
この宿題をいつも頭の中に置き、絶えずそれを意識しながら、これから展開される教えを学んでいって頂きたいと思います。