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人間釈尊(23)
立正佼成会会長 庭野日敬

師弟の信頼ここに極まる

釈尊が半座を分けられた

 祇園精舎の昼さがり、お釈迦さまは新しくサンガに入ったばかりの比丘たちに法を説いておられました。
 そこへよれよれの衣を着た、髪もひげもぼうぼうに伸びた年配の比丘が入ってきました。比丘たちはちょっと振り返ったばかりで、みすぼらしいその比丘に席をあけてあげる者は一人もいませんでした。
 その比丘は、じつは大長老の摩訶迦葉だったのです。摩訶迦葉は長い間舎衛城外の林の中でただ一人、座禅と瞑想の生活を送っていたのですから、新入団の比丘たちはだれもその顔を見知ってはいなかったわけです。
 摩訶迦葉は、平然として末席にすわりました。はるかにそれを見られたお釈迦さまは、声をかけられました。
 「おお、迦葉か。よく来た。さあ、こちらへ来なさい」
 迦葉はそれでも末席にすわったままです。お釈迦さまは高座のご自分のお席の半分をあけて、
 「さあ、この半座にすわりなさい。そなたとわたしと、どちらが先に出家したのであったかな」
 そのお言葉を聞いて新入の比丘たちはびっくりして――原典・雑阿含経巻四五には(身の毛がよだつほど驚いた)とある――乞食同然のその見知らぬ比丘をまじまじと見るのでした。なにしろ仏さまが半座を分けてそこにすわるようにおっしゃるということは、つまりご自分と同格に見ておられることになるのですから。
 摩訶迦葉は、
 「世尊よ、世尊はわたくしの師でございます。わたくしは世尊の弟子でございます」と答えると、進み出て世尊のみ足を拝し、退いて一隅に座しました。
 それにしても、お釈迦さまが弟子に半座を分けようとなさったのは空前絶後のことであって、どれぐらい摩訶迦葉を信頼しておられたかの絶大なる証(あかし)でありましょう。
 法華経の見宝塔品に、多宝如来が釈迦牟尼如来に半座を分け、並んですわられたことが述べられていますが、それは同格の仏と仏、この場合は師と弟子です。師弟の信頼ここに極まれり、と言わざるを得ません。

自然と教団の統率者に

 お釈迦さまが入滅されてから一週間後のことです。摩訶迦葉はお釈迦さまの一行に合流しようと、多くの比丘たちを引きつれて、パーヴァーとクシナガラの間の街道を進んでいました。
 そのとき、クシナガラの方角からやってきた一人の異教徒が「あなた方の師は亡くなられましたよ」と告げました。一同はがくぜんとし、声をあげて号泣する者もいました。
 そのとき一人の年老いた比丘が、
 「悲しむことはないよ。われわれはいま解放されたのだ。これまで『こんなことをしてはいけない。こんなことはしてよい』と圧迫されていたが、これからは自由になるのだ」
 と放言しました。こんな不届き者も大きなサンガの中にはいたのです。
 それを聞いた摩訶迦葉が色をなして怒り、はげしく叱責したことは言うまでもありません。
 そのとき大迦葉は、――こういう人間がほかにも出てくるかもしれない。サンガ全員を集めて亡き世尊のみ教えを確かめ合う必要がある――と考えました。そして一年後に自ら主宰してそのような集会を開きました。それがいわゆる第一回の結集(けつじゅう)です。
 こうして大迦葉は、自然と事実上の教団の統率者となったのでありました。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎

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