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人間釈尊(61)
立正佼成会会長 庭野日敬

良い説法の四つの要素

議論のための議論は空しい

 お釈迦さまの十大弟子の一人に摩訶倶絺羅(まかくちら)という尊者がいますが、じつはこの人は舎利弗の母の弟なのです。
 一家は秀才ぞろいだったようで、倶絺羅があるとき舎利弗をみごもっていた姉と哲学上の議論を闘わしたところ、苦もなく言い負かされてしまいました。倶絺羅は「いつもの姉と違う。きっと腹の中の胎児が教えているに違いない。生まれない前からこうだから、生まれて大きくなったらどんな知恵者になるかわかったものではない。いまのうちに諸国を行脚して勉学を重ねておかなければ……」と考え、バラモンの修行者の仲間に入って南インドへ旅したのでした。
 そこでバラモン教の十八大経をことごとく読破し、ひとかどの大学者になったつもりで、故郷のマガダ国へ帰ってきました。帰ってみると、家族はほとんど死に絶え、まだ見ぬ甥(おい)の舎利弗が最近にわかに有名になったゴータマ・ブッダの弟子になっていると聞きました。
 さっそく竹林精舎を訪れた倶絺羅は、まずゴータマ・ブッダなる人に論戦をいどんでみました。倶絺羅は、
 「わたしは懐疑論者です。人間がうち立てた一切の説を認めません。あなたの説はどんな説か知らないが……」
 と切り出しますと、お釈迦さまは、
 「一切の説は認めないこと、それもそなたがうち立てた説ではないか。その論法でいけば自分自身の説をも認めないことになる。そのようなのを議論のための議論といい、自分も悟れないし、世間の人をも救えないのだぞ」とさとされました。倶絺羅は一言もなく恐れ入ってしまいました。
 それからお釈迦さまは、縁起の法をはじめ、諸行無常の理から四諦の教えまで順を追ってお説き聞かせになりましたので、にわかに夢から覚めたようになり、その場で入門をお願いして許されたのでした。
 舎利弗が入門して十五日目のことでしたが、舎利弗はそのときお釈迦さまをうしろからあおいでさしあげていながら、それらの法門を初めて開き、そくざに悟りを開いたといいます。

現代にも必要な「四弁」

 倶絺羅もほどなく仏法に通達するようになり、とりわけ教義を説く弁舌においては並ぶ者がないといわれるようになりました。あるときお釈迦さまは、大勢の比丘たちに倶絺羅の説法ぶりを次のようにお褒めになりました。
 「比丘たちよ。倶絺羅はこの世に行われているあらゆる思想に通じ、その意義を明らかに解説することができる。これを『義弁』という。
 また倶絺羅は、如来の説いた法のすべてを総括して心得、欠けるところなくそれを説く。これを『法弁』という。
 さらに倶絺羅は、仏の言葉はもとより、世の人々が話す俗語にもよく通じ、たくみにそれを用いて法を説く。これを『辞弁』という。
 また倶絺羅は、法を説くときいささかも憶することなく堂々と説き、大衆は知らず知らずのうちにそれに引き込まれて法悦を覚える。これを『応弁』という。
 比丘たちよ。そなたたちも法を説くときは摩訶倶絺羅のように『四弁』を具備することを心がけるがよい」
 この「四弁」は、二千五百年後のわれわれ仏弟子にとっても、そのまま服膺(ふくよう)すべき心得であると思います。一つ覚えのように仏法を古典的な解説のみで説いても、人々はよく納得できず、魅力をも覚えません。あるいは現代科学に裏づけさせたり、あるいは社会情勢の現実に即したり、あるいは流行語などを用いてユーモラスに説いたり、さまざまな工夫が必要なのであります。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎

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