人間釈尊(70)
立正佼成会会長 庭野日敬
阿難へ感謝のお言葉
刻々と死に近づきながら
ヴェーサーリーに別れを告げられてから、世尊はバーヴァー村の金属細工人チュンダ所有のマンゴー林に足をとどめられました。
チュンダは敬虔(けいけん)な信者でしたので、大喜びで世尊をお迎えし、世尊も――『道に生きる者』『道を説く者』がこの世で最も尊い存在である――という教えをねんごろにお説きになりました。
ところが、ここで思いがけないことが起こりました。チュンダがご供養申し上げた食事の中に、世尊だけに特別にお出ししたキノコ(一説には豚肉ともいう)がありましたが、そのキノコにあたって中毒にかかられた世尊は猛烈な腹痛を起こされ、激しい下痢をなさったのです。
それでも、その苦痛を耐え忍びながら、クシナーラへと出発されたのでした。しかし、いくらもお歩きにならないうちに、
「阿難よ。わたしは疲れた。わたしは座りたい。上衣を四つにたたんで敷いておくれ」と命ぜられました。座られるとすぐ、
「阿難よ。水を持ってきておくれ。わたしはのどが渇いている。水が飲みたい」
とおっしゃるのです。近くの河からくんできてさしあげると、おいしそうに飲まれてから、
「さあ、これからカクッター河のところへ行こう」
と阿難をうながして歩き出されました。そしてカクッター河にたどりつかれると、流れに入って水浴され、また水をたっぷりお飲みになりました。
そして岸に上がられると、「わたしは横になりたい。上衣を四つ折りにして敷いておくれ」と命ぜられるのでした。前には「座りたい」とおっしゃり、今度は「横になりたい」とおっしゃったことからも、体力が急速に衰えつつあったことが如実にうかがわれます。こうして、バーヴァーからクシナーラまではわずか数キロの道のりなのに、二十五回もお休みになったといいます。
その苦痛のなかから、
「阿難よ。そなたはチュンダの所へ行って、食事にキノコを出したことをくれぐれも後悔しないように言っておくれ。わたしの成道の因をつくってくれたスジャータの乳粥(ちちがゆ)と同じように、チュンダの供養した食事によって無余涅槃界(肉体さえも残さない絶対平安の世界)へ入ることができるのだから、最大の功徳なのだ……と、そう伝えるのだよ」
と命ぜられました。その深い思いやりのお言葉に人間釈尊のお徳の結晶があると言っても、けっして言い過ぎではないでしょう。
阿難よ、よく仕えてくれた
クシナーラ村に入られた世尊は、阿難に、
「さあ、わたしのために、サーラ双樹の間に、頭を北に向けて床を敷いておくれ。わたしは疲れた。横になりたい」
とおいいつけになりました。いよいよご臨終の時が近づいたのです。阿難は悲しみのあまり、お床の傍らで激しくしゃくりあげていました。すると世尊は、
「阿難よ。泣くのはやめなさい。わたしがいつも教えていたではないか。愛するものや好むものとも必ず別れなければならない。生じたもの、存在するものは必ず滅するものだ……と……」
それから言葉を改められ、
「阿難よ。そなたは長いあいだわたしによく仕えてくれた。そなたは善いことをしたのだよ。これからも努めはげむことだ。必ずすべての煩悩を除き尽くした身になるだろう」
と優しくおおせられたのでした。
阿難がどんな気持ちでそのお言葉を聞いたか、察するに余りがあります。
そのとき、クシナーラには夕暗が迫りつつありました。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎
立正佼成会会長 庭野日敬
阿難へ感謝のお言葉
刻々と死に近づきながら
ヴェーサーリーに別れを告げられてから、世尊はバーヴァー村の金属細工人チュンダ所有のマンゴー林に足をとどめられました。
チュンダは敬虔(けいけん)な信者でしたので、大喜びで世尊をお迎えし、世尊も――『道に生きる者』『道を説く者』がこの世で最も尊い存在である――という教えをねんごろにお説きになりました。
ところが、ここで思いがけないことが起こりました。チュンダがご供養申し上げた食事の中に、世尊だけに特別にお出ししたキノコ(一説には豚肉ともいう)がありましたが、そのキノコにあたって中毒にかかられた世尊は猛烈な腹痛を起こされ、激しい下痢をなさったのです。
それでも、その苦痛を耐え忍びながら、クシナーラへと出発されたのでした。しかし、いくらもお歩きにならないうちに、
「阿難よ。わたしは疲れた。わたしは座りたい。上衣を四つにたたんで敷いておくれ」と命ぜられました。座られるとすぐ、
「阿難よ。水を持ってきておくれ。わたしはのどが渇いている。水が飲みたい」
とおっしゃるのです。近くの河からくんできてさしあげると、おいしそうに飲まれてから、
「さあ、これからカクッター河のところへ行こう」
と阿難をうながして歩き出されました。そしてカクッター河にたどりつかれると、流れに入って水浴され、また水をたっぷりお飲みになりました。
そして岸に上がられると、「わたしは横になりたい。上衣を四つ折りにして敷いておくれ」と命ぜられるのでした。前には「座りたい」とおっしゃり、今度は「横になりたい」とおっしゃったことからも、体力が急速に衰えつつあったことが如実にうかがわれます。こうして、バーヴァーからクシナーラまではわずか数キロの道のりなのに、二十五回もお休みになったといいます。
その苦痛のなかから、
「阿難よ。そなたはチュンダの所へ行って、食事にキノコを出したことをくれぐれも後悔しないように言っておくれ。わたしの成道の因をつくってくれたスジャータの乳粥(ちちがゆ)と同じように、チュンダの供養した食事によって無余涅槃界(肉体さえも残さない絶対平安の世界)へ入ることができるのだから、最大の功徳なのだ……と、そう伝えるのだよ」
と命ぜられました。その深い思いやりのお言葉に人間釈尊のお徳の結晶があると言っても、けっして言い過ぎではないでしょう。
阿難よ、よく仕えてくれた
クシナーラ村に入られた世尊は、阿難に、
「さあ、わたしのために、サーラ双樹の間に、頭を北に向けて床を敷いておくれ。わたしは疲れた。横になりたい」
とおいいつけになりました。いよいよご臨終の時が近づいたのです。阿難は悲しみのあまり、お床の傍らで激しくしゃくりあげていました。すると世尊は、
「阿難よ。泣くのはやめなさい。わたしがいつも教えていたではないか。愛するものや好むものとも必ず別れなければならない。生じたもの、存在するものは必ず滅するものだ……と……」
それから言葉を改められ、
「阿難よ。そなたは長いあいだわたしによく仕えてくれた。そなたは善いことをしたのだよ。これからも努めはげむことだ。必ずすべての煩悩を除き尽くした身になるだろう」
と優しくおおせられたのでした。
阿難がどんな気持ちでそのお言葉を聞いたか、察するに余りがあります。
そのとき、クシナーラには夕暗が迫りつつありました。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎