人間釈尊(55)
立正佼成会会長 庭野日敬
舎利弗と羅睺羅の忍辱も
異教徒に打たれた舎利弗
舎利弗がお釈迦さまのお弟子になってから間もないころのことです。一緒に入門した親友の目連と霊鷲山の洞窟にこもって修行をしていましたが、ある日、舎利弗が外へ出たところへ、カタという鬼とウパカタという鬼(雑阿含経の本文には「鬼」とありますが、おそらく凶悪な異教徒だったのでしょう)が現れて、ウパカタのほうがいきなり舎利弗をなぐりつけました。舎利弗の顔が一瞬ゆがんだほどの怪力でした。
物音を聞きつけて目連が飛び出してみると、舎利弗が顔をおさえています。
「どうした……」
「うん、ウパカタになぐられた」
「痛いだろう。大丈夫か」
「ものすごく痛いが、平気だよ」
「舎利弗、君はすごいね。あの鬼が岩を打てば岩は糠(ぬか)のように砕けると聞いている。それなのに大した傷も受けず、平気でいる。君の徳の力が偉大なことの証拠だよ」
と目連は賛嘆しました。
後でこのことを聞かれたお釈迦さまは、次のような偈を詠まれて舎利弗をおほめになりました。
心、金剛のごとく
堅くして動かず
己れに執(しゅう)する心なければ
怒って打つ鬼の力も及ばず
かくのごとく心を修むれば
苦痛も何であろうか
忍辱ほど快いものはない
後年、お釈迦さまがひとり子の羅睺羅を出家せしめられた時、幼い羅睺羅を舎利弗に預けられたのは、舎利弗がたんに「智慧第一」といわれるほど頭脳明晰だったばかりでなく、このような「徳の人」でもあったからでありましょう。
因縁の不思議といいましょうか、その羅睺羅も養い親と同じような目に遭ったことがあるのです。
ある朝、羅睺羅は舎利弗のあとについて王舎城の町を托鉢していました。すると、一人の男が飛び出してきて舎利弗の鉢の中へ砂を投げ入れ、十歩ばかり後ろを歩いていた羅睺羅の顔をなぐりつけました。当時まだ新興宗教だった仏教の修行者は、往々にしてこうした暴行を受けたのです。
舎利弗が振り返ってみると、眼の上あたりが切れて血が流れています。逃げて行く悪者を追いかけようともせず、すぐ羅睺羅の所へ駆け寄って舎利弗は、
「痛かっただろう。だがね、世尊の弟子であるからには、どんなことがあっても怒ってはならないんだよ。いいかね」
「ハイ」
「世尊はいつも、慈しみをもって衆生を憐れめとお教えになっておられる。そして『忍辱ほど快いものはない』と仰せられている。いいかね、怒りながら我慢するのはほんとうの忍辱ではない。忍辱は快いものだとおっしゃる世尊のご真意を悟らなければいけないよ」
「ハイ。よくわかります」
羅睺羅は小川の流れで血に汚れた顔を洗い、澄んだ眼で舎利弗を見上げながら言いました。
「わたしはあの人を気の毒に思います。あの人は不幸から不幸への暗い道をたどって行くに違いありません。あんな無法な人をどうしたらいいのか、それがわからずに残念です」
羅睺羅の立派さは、もちろん舎利弗の教化の賜です。しかし、われわれはさらに二人の師であるお釈迦さまの偉大さをしのばずにはおられません。とりわけ「忍辱ほど快いものはない」の一語、これほど宗教者の特質を表したことばはないと言ってもいいでしょう。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎
立正佼成会会長 庭野日敬
舎利弗と羅睺羅の忍辱も
異教徒に打たれた舎利弗
舎利弗がお釈迦さまのお弟子になってから間もないころのことです。一緒に入門した親友の目連と霊鷲山の洞窟にこもって修行をしていましたが、ある日、舎利弗が外へ出たところへ、カタという鬼とウパカタという鬼(雑阿含経の本文には「鬼」とありますが、おそらく凶悪な異教徒だったのでしょう)が現れて、ウパカタのほうがいきなり舎利弗をなぐりつけました。舎利弗の顔が一瞬ゆがんだほどの怪力でした。
物音を聞きつけて目連が飛び出してみると、舎利弗が顔をおさえています。
「どうした……」
「うん、ウパカタになぐられた」
「痛いだろう。大丈夫か」
「ものすごく痛いが、平気だよ」
「舎利弗、君はすごいね。あの鬼が岩を打てば岩は糠(ぬか)のように砕けると聞いている。それなのに大した傷も受けず、平気でいる。君の徳の力が偉大なことの証拠だよ」
と目連は賛嘆しました。
後でこのことを聞かれたお釈迦さまは、次のような偈を詠まれて舎利弗をおほめになりました。
心、金剛のごとく
堅くして動かず
己れに執(しゅう)する心なければ
怒って打つ鬼の力も及ばず
かくのごとく心を修むれば
苦痛も何であろうか
忍辱ほど快いものはない
後年、お釈迦さまがひとり子の羅睺羅を出家せしめられた時、幼い羅睺羅を舎利弗に預けられたのは、舎利弗がたんに「智慧第一」といわれるほど頭脳明晰だったばかりでなく、このような「徳の人」でもあったからでありましょう。
因縁の不思議といいましょうか、その羅睺羅も養い親と同じような目に遭ったことがあるのです。
ある朝、羅睺羅は舎利弗のあとについて王舎城の町を托鉢していました。すると、一人の男が飛び出してきて舎利弗の鉢の中へ砂を投げ入れ、十歩ばかり後ろを歩いていた羅睺羅の顔をなぐりつけました。当時まだ新興宗教だった仏教の修行者は、往々にしてこうした暴行を受けたのです。
舎利弗が振り返ってみると、眼の上あたりが切れて血が流れています。逃げて行く悪者を追いかけようともせず、すぐ羅睺羅の所へ駆け寄って舎利弗は、
「痛かっただろう。だがね、世尊の弟子であるからには、どんなことがあっても怒ってはならないんだよ。いいかね」
「ハイ」
「世尊はいつも、慈しみをもって衆生を憐れめとお教えになっておられる。そして『忍辱ほど快いものはない』と仰せられている。いいかね、怒りながら我慢するのはほんとうの忍辱ではない。忍辱は快いものだとおっしゃる世尊のご真意を悟らなければいけないよ」
「ハイ。よくわかります」
羅睺羅は小川の流れで血に汚れた顔を洗い、澄んだ眼で舎利弗を見上げながら言いました。
「わたしはあの人を気の毒に思います。あの人は不幸から不幸への暗い道をたどって行くに違いありません。あんな無法な人をどうしたらいいのか、それがわからずに残念です」
羅睺羅の立派さは、もちろん舎利弗の教化の賜です。しかし、われわれはさらに二人の師であるお釈迦さまの偉大さをしのばずにはおられません。とりわけ「忍辱ほど快いものはない」の一語、これほど宗教者の特質を表したことばはないと言ってもいいでしょう。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎