人間釈尊(54)
立正佼成会会長 庭野日敬
懺悔は大いなる善
舎利弗を讒訴した比丘
お釈迦さまが成道されてから四十年ほどたったころの出来事です。夏安居(げあんご=雨期の三ヵ月間一ヵ所にとどまってする修行)を終わった舎利弗が、お釈迦さまのお許しを得て布教の旅に出かけました。
舎利弗が祇園精舎を出て行った直後に、一人の比丘がお釈迦さまのもとへ来て、
「世尊。舎利弗長老は私をさんざん侮辱して旅に出ました」
と申し上げました。世尊は傍らにいた比丘に、
「急いで舎利弗を呼び返しなさい」
と命じられ、阿難に、
「すべての比丘たちに、これから舎利弗が説法をするから講堂に集まるように伝えなさい」
と言いつけられました。
一同が講堂に参集した時、舎利弗も戻ってきました。お釈迦さまは舎利弗を正面に座らせて、お尋ねになりました。
「そなたが出かけたあと、一人の比丘が来て、そなたにさんざん悔辱されたと告げたが、それは本当か」
舎利弗は立ち上がって深々と一礼し、
「世尊、私は今年八十歳になろうとしておりますが、殺生したおぼえもなく、嘘をついたことも、他人の悪口を言ったことも、記憶にございません。もしそんなことがあったとしたら、ずいぶん心が乱れていた時のことでしょう。しかし、きょうは夏安居を終えたばかりで、心は澄み切っております。どうして他人を悔辱などすることがありましょう。世尊。大地はどんな不浄な物でもそれを受け、逆らうことをしません。大小便でも、痰(たん)や唾(つば)でもそれを拒否しません。世尊。水はよいものでもよくないものでもそれを受け入れて洗い清めます。きょうの私はそのような気持ちでおります。もし誤ってある比丘を悔辱したのであれば、この場で彼に懺悔いたしましょう」
真心からほとばしる舎利弗の熱弁に、並み居る一同深く感動しました。例の比丘は、真っ赤な顔をしてうつむいていました。
懺悔は仏法の一大事
お釈迦さまはその比丘に対して、
「いまの言葉を聞いたか。そなたこそ懺悔しなければならないのではないか」とおっしゃいました。その比丘はブルブル震え出し、
「世尊。悪うございました。どうぞわたくしの懺悔をお受けくださいませ」
「いや、わたしにではなく、舎利弗に向かって懺悔しなければならないのだ」
そこで、その比丘は舎利弗の足に額をつけて礼拝し、涙ながらに言うのでした。
「私は、あなたがあまりにも智慧にすぐれ、世尊のご信頼が厚いのに妬(ねた)み心を起こし、ついに讒言(ざんげん)の罪を犯してしまいました。どうぞお許しください」
舎利弗は、その比丘の頭を優しくなでながら、
「懺悔は仏法の中でも最も大切な行いの一つで、広大な意義を持つものです。過ちを懺悔することは大いなる善です。よく勇気を出して懺悔しましたね。わたしはあなたの懺悔を快く受けますよ」
と言いました。
お釈迦さまはお口もとに微笑を浮かべながら、その光景を眺めていらっしゃいました。そして、美しいその結末をごらんになって、何度もうなずかれたのでした。
じつはお釈迦さまは、初めからその比丘の訴えが嘘であることを承知していらっしゃったのです。しかし、ちょうどいい機会だとお考えになり、わざわざ一山の大衆を集めて懺悔ということの尊さを見せしめられたのでありました。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎
立正佼成会会長 庭野日敬
懺悔は大いなる善
舎利弗を讒訴した比丘
お釈迦さまが成道されてから四十年ほどたったころの出来事です。夏安居(げあんご=雨期の三ヵ月間一ヵ所にとどまってする修行)を終わった舎利弗が、お釈迦さまのお許しを得て布教の旅に出かけました。
舎利弗が祇園精舎を出て行った直後に、一人の比丘がお釈迦さまのもとへ来て、
「世尊。舎利弗長老は私をさんざん侮辱して旅に出ました」
と申し上げました。世尊は傍らにいた比丘に、
「急いで舎利弗を呼び返しなさい」
と命じられ、阿難に、
「すべての比丘たちに、これから舎利弗が説法をするから講堂に集まるように伝えなさい」
と言いつけられました。
一同が講堂に参集した時、舎利弗も戻ってきました。お釈迦さまは舎利弗を正面に座らせて、お尋ねになりました。
「そなたが出かけたあと、一人の比丘が来て、そなたにさんざん悔辱されたと告げたが、それは本当か」
舎利弗は立ち上がって深々と一礼し、
「世尊、私は今年八十歳になろうとしておりますが、殺生したおぼえもなく、嘘をついたことも、他人の悪口を言ったことも、記憶にございません。もしそんなことがあったとしたら、ずいぶん心が乱れていた時のことでしょう。しかし、きょうは夏安居を終えたばかりで、心は澄み切っております。どうして他人を悔辱などすることがありましょう。世尊。大地はどんな不浄な物でもそれを受け、逆らうことをしません。大小便でも、痰(たん)や唾(つば)でもそれを拒否しません。世尊。水はよいものでもよくないものでもそれを受け入れて洗い清めます。きょうの私はそのような気持ちでおります。もし誤ってある比丘を悔辱したのであれば、この場で彼に懺悔いたしましょう」
真心からほとばしる舎利弗の熱弁に、並み居る一同深く感動しました。例の比丘は、真っ赤な顔をしてうつむいていました。
懺悔は仏法の一大事
お釈迦さまはその比丘に対して、
「いまの言葉を聞いたか。そなたこそ懺悔しなければならないのではないか」とおっしゃいました。その比丘はブルブル震え出し、
「世尊。悪うございました。どうぞわたくしの懺悔をお受けくださいませ」
「いや、わたしにではなく、舎利弗に向かって懺悔しなければならないのだ」
そこで、その比丘は舎利弗の足に額をつけて礼拝し、涙ながらに言うのでした。
「私は、あなたがあまりにも智慧にすぐれ、世尊のご信頼が厚いのに妬(ねた)み心を起こし、ついに讒言(ざんげん)の罪を犯してしまいました。どうぞお許しください」
舎利弗は、その比丘の頭を優しくなでながら、
「懺悔は仏法の中でも最も大切な行いの一つで、広大な意義を持つものです。過ちを懺悔することは大いなる善です。よく勇気を出して懺悔しましたね。わたしはあなたの懺悔を快く受けますよ」
と言いました。
お釈迦さまはお口もとに微笑を浮かべながら、その光景を眺めていらっしゃいました。そして、美しいその結末をごらんになって、何度もうなずかれたのでした。
じつはお釈迦さまは、初めからその比丘の訴えが嘘であることを承知していらっしゃったのです。しかし、ちょうどいい機会だとお考えになり、わざわざ一山の大衆を集めて懺悔ということの尊さを見せしめられたのでありました。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎