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人間釈尊(52)
立正佼成会会長 庭野日敬

戒律も柔軟に合理的に

病人は葫を食べてよい

 釈尊教団にはたくさんの戒律がありました。毎度説明しますように、「戒」というのはもともと「良い生活習慣」という意味で、それを身につけることによって次第に人格を向上せしめようという目的の定めでした。「律」というのは教団の秩序と、清潔と、平和を維持するための掟(おきて)でした。
 その「律」にしても最初から制定されたものではなく、比丘たちの中でよくない行為をしたものがあるごとに、世尊が「今後こんなことをしてはならぬ」と戒められたことから起こったもので、いわば自然発生的な掟だったのです。
 それだけに、一部の基本的な「律」は別として、日常生活に関する細かい定めはけっして絶対的なものではなく、お釈迦さまは時と、人と、場合に応じて一時的にお許しになったり、永久的に改変されたりしました。そのように、大変柔軟で合理的なお心の持ち主でもあられたのです。その二、三例をあげましょう。
 ある比丘がやせこけて寝込んでいるのをごらんになった世尊が、
 「どうしてそんなにやせ衰えているのか」
 とお尋ねになりますと、
 「どうにも食欲がないのでございます」
 「何か特別に食べたいものはないかね」
 「わたくしは俗人でしたころ葫(ニンニク)を常用しておりましたが、こちらでは禁止されておりますので……」
 ニラとかネギとかニンニクの類は強精作用があって修行を妨げるのでタブーとなっていました。しかし、体力の衰えた病比丘となれば、それがプラスに作用することを世尊はちゃんとご存じだったのです。そこで、即座に全教団に布令されました。
 「今日より病比丘に限ってニラ・ニンニクの類を食することを許す」と。

温かい慈悲と透徹した智慧

 世尊が鹿野苑に滞在しておられたときのことです。比丘の中に病人が続出し、六十人にも達しました。在俗のとき医師だった比丘がいて、懸命に看護していましたが、肝心のその医比丘が疲労こんぱいしてしまいました。お釈迦さまが心配され、
 「そなたが寝込んだら病人たちが困る。なにかそなたが過労に陥らない手だてはないものかね」
 と尋ねられました。すると、
 「けっして看病疲れではございません。ここからハラナイ(ベナレス)の町までは半由旬(はんゆじゅん=約二キロ)ありますが、毎日薬を求めに行くのに疲れるのでございます」
 という答えでした。
 「そうか。薬は買いためて何日ぐらい保(も)つものかね」
 「生酥(ミルク)・酥(チーズ)・油・蜜(みつ)などの類ですから、七日間は保ちます」
 教団の掟としては、食物を蓄えることを固く禁じていました。物に対する執着心を起こさせないためだったのでしょう。しかし、六十人もの病人を助けるためとなれば話は別です。世尊はただちに、
 「病気の比丘のための薬は七日間に限って蓄えることを許す。ただし、七日を過ぎたら残りは必ず捨てること。けっして服用してはならぬ」
 と命ぜられました。
 お釈迦さまは仏陀であると同時に、あくまでも人間であられました。そして、人間を限りなく愛するお方でありました。とりわけ、病者をいたわる慈悲心はことさら深かったようです。
 その慈悲心も、透徹した智慧に裏打ちされたものであったことに、われわれは深い感銘を覚えざるをえません。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎

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