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人間釈尊(35)
立正佼成会会長 庭野日敬

錯乱の女も長老尼に

素っ裸の顛倒の女性に…

 祇園精舎のひるさがりでした。
 お釈迦さまは涼しい森の木陰で、多くの在俗の人びとに囲まれて説法をしておられました。そこへ、どこから迷いこんだものか、一人の若い女が素っ裸のままやってきました。
 「あっ、あの頭のおかしいバターチャーラーだ」
 「世尊のおそばへ行かせてはまずい。止めろ」
 二、三人の者が女の前に立ちふさがりました。それを見られた世尊は
 「止めるな。好きなようにさせるがよい」とおっしゃり、女がおそばに近づくと、
 「妹よ、気を確かに持て」
 と声をかけられました。その一言で、女はたちまち正気に返り、裸の姿が恥ずかしくなって、その場にうずくまってしまいました。
 「だれか、この女に着物をあげなさい」
 という世尊のお言葉。群集の一人が一枚の布を投げてやりますと、女はそれをまとって世尊の前に進み出てひれ伏し、
 「尊いお方。どうぞわたくしの力になってくださいませ。わたくしの子供も、父も、母も、みんな死んでしまいました」
 世尊は静かにおおせられました。
 「妹よ。そなたは家族が死んだといって嘆き悲しんでいるが、遠い遠い昔から今日まで、数えきれないほどの人たちが子供や親に死なれて流した涙は、世界中の海の水よりまだ多いのだよ」

捨てた水のゆくえで悟る

 この女性は、わずか十数日のうちに夫は毒蛇にかまれ、上の子はおぼれ死に、赤ん坊は鷹にさらわれ、実家は暴風雨で倒壊して父母と弟を失い、そのショックで気が狂わんばかりになってしまったのでした。
 彼女はお釈迦さまのお言葉を聞いているうちに、自分だけが不幸な身ではないということが胸にしみてわかってきました。世尊は重ねて、
 「自分自身が死に臨んだ時のことを考えてみなさい。家族も、親戚も、なに一つ頼りになるものはないのですよ。ただ、この世の道理を悟り、清らかな生活を送れば、不死という理想の境地に達することができるのです」
 とお説きになりました。彼女はたちどころに仏法への信を起こし、出家・入門をお願いしてお許しを得たのでした。
 比丘尼教団に入って熱心に修行していた彼女は、ある日、足を洗った水を捨てたところ、すぐ地中に吸いこまれてしまいました。もう一度水を流してみたところ少し先まで流れ、さらにもう一度流してみるともっと先まで流れて行きましたが、ついにはやはり地中に消えてしまいました。
 彼女はじっと考えました。(人間も、最初に流した水のように早死にする人もあり、二度目のように中年で死ぬ人もあり、三度目のように長生きする人もある。いずれにしても死ぬことに違いはない)。
 その思いが世尊のみ心に通じたものか、世尊のお声が耳もとに聞こえてきました。
 「そのとおりである。そこで心得ておかねばならないことは、人がもし百年生きようとも、真理を知らず放逸に暮らすならば、真理を知って精進する者の一日の生にも劣る、ということである」
 それを聞いたとたんに彼女は悟りを開いたといいます。そしてこのお言葉は、法句経百十二番に収録されています。また、彼女自身が詠じた偈も、南伝の長老尼偈経の百十二番から百十六番までに収録されており、よほど高い境地に達したもののようです。
 ともあれ、人びとに相手にされなかった素っ裸の顛倒の女に親しく声をかけられ、ここまで育てられたお釈迦さまの優しさと教化力には、ただ頭が下がるばかりです。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎

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