人間釈尊(67)
立正佼成会会長 庭野日敬
舎利弗の死を迎えられて
師と己の死期を知って
お釈迦さまが最後の旅にお出かけになる少し前のことです。
かねてから病気がちだった舎利弗は、自分の寿命があまり長くないことを知っていたのですが、と同時に、世尊の入涅槃も遠くないことを、その天眼をもって見抜いていました。
ある日、禅定から出て澄み極まった心境にあったとき、ふと思い出したのは、過去の諸仏の高弟たちはみな師よりも先に入滅したという言い伝えでした。
――そうだ。自分としても、世尊のご入滅をこの目で見たてまつるのは忍びえない。一日でも先に涅槃に入ることにしよう――
そう決意した舎利弗は、竹林精舎のお釈迦さまのみもとに行って申し上げました。
「世尊。わたしは近いうちに涅槃に入ろうと存じます。どうぞお許しください」
世尊は黙然として舎利弗の顔をみつめておられるばかりです。一言もお答えになりません。舎利弗は繰り返し繰り返し三度も同じことをお願いしました。世尊はようやく、
「なぜこの世にとどまることを願わず、涅槃に入ることを急ぐのか」
とお尋ねになりました。舎利弗は、
「過去の諸仏に仕えた弟子たちは、みな師より先に涅槃に入ったと聞いておりますので……」
とお答えします。世尊はしばらくじっとお考えになっておられましたが、
「そうか。そなたはよくその時を知った。では、どこで涅槃に入るつもりか」
「故郷の母を訪ねまして、その地で……」
「よろしい。許してあげよう」
「ありがとうございます。長年お導きくださいましたご恩は永久に忘却いたしません。最後の礼拝をさせて頂きます」
舎利弗はみ足に額をつけて伏し拝み、両の手を合わせて世尊を仰ぎ見ながら、お姿が見えなくなるまで後じさりして去って行きました。世尊は慈しみをこめた眼で、じっと見つめていらっしゃいました。
遺骨をわが掌に乗せよ
舎利弗は久しぶりに母を見舞い、ねんごろに仏法を説いて大安心を得せしめたあと、一人で別室に退き、右わきを下にして横になりました。そしてゆったりと禅定に入ってゆき、その極みにおいて静かに息を引き取ったのでした。
ずっとお供をしていた侍者のマハーチュンダは、涙ながらに遺体を火葬に付し、遺骨を抱いて竹林精舎へ帰ってきました。
迎えに出た阿難は、驚きと悲しみで声をあげて泣きながら世尊のおん前に手をつき、
「何ということでしょう。舎利弗長老が入滅されました」
と申し上げます。世尊は、
「嘆くことはない。すべては移り変わるのがこの世の定めではないか」
と慰められましたが、しかし、そのお顔はさすがに曇ってみえました。世尊はマハーチュンダに向かって、
「マハーチュンダよ。その遺骨をわたしの掌の上に乗せておくれ」
とおっしゃいました。
マハーチュンダが恐る恐る進み出て舎利弗の遺骨をお手の上に乗せますと、お釈迦さまはそれを大勢の比丘たちに示しながら、
「これが数日前までそなたたちに法を説いた大智舎利弗である。わたしの子の遺骨である。よく見ておくがよい」
とおっしゃるのでした。
人間味あふれるそのお言葉に、泣かない比丘はありませんでした。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎
立正佼成会会長 庭野日敬
舎利弗の死を迎えられて
師と己の死期を知って
お釈迦さまが最後の旅にお出かけになる少し前のことです。
かねてから病気がちだった舎利弗は、自分の寿命があまり長くないことを知っていたのですが、と同時に、世尊の入涅槃も遠くないことを、その天眼をもって見抜いていました。
ある日、禅定から出て澄み極まった心境にあったとき、ふと思い出したのは、過去の諸仏の高弟たちはみな師よりも先に入滅したという言い伝えでした。
――そうだ。自分としても、世尊のご入滅をこの目で見たてまつるのは忍びえない。一日でも先に涅槃に入ることにしよう――
そう決意した舎利弗は、竹林精舎のお釈迦さまのみもとに行って申し上げました。
「世尊。わたしは近いうちに涅槃に入ろうと存じます。どうぞお許しください」
世尊は黙然として舎利弗の顔をみつめておられるばかりです。一言もお答えになりません。舎利弗は繰り返し繰り返し三度も同じことをお願いしました。世尊はようやく、
「なぜこの世にとどまることを願わず、涅槃に入ることを急ぐのか」
とお尋ねになりました。舎利弗は、
「過去の諸仏に仕えた弟子たちは、みな師より先に涅槃に入ったと聞いておりますので……」
とお答えします。世尊はしばらくじっとお考えになっておられましたが、
「そうか。そなたはよくその時を知った。では、どこで涅槃に入るつもりか」
「故郷の母を訪ねまして、その地で……」
「よろしい。許してあげよう」
「ありがとうございます。長年お導きくださいましたご恩は永久に忘却いたしません。最後の礼拝をさせて頂きます」
舎利弗はみ足に額をつけて伏し拝み、両の手を合わせて世尊を仰ぎ見ながら、お姿が見えなくなるまで後じさりして去って行きました。世尊は慈しみをこめた眼で、じっと見つめていらっしゃいました。
遺骨をわが掌に乗せよ
舎利弗は久しぶりに母を見舞い、ねんごろに仏法を説いて大安心を得せしめたあと、一人で別室に退き、右わきを下にして横になりました。そしてゆったりと禅定に入ってゆき、その極みにおいて静かに息を引き取ったのでした。
ずっとお供をしていた侍者のマハーチュンダは、涙ながらに遺体を火葬に付し、遺骨を抱いて竹林精舎へ帰ってきました。
迎えに出た阿難は、驚きと悲しみで声をあげて泣きながら世尊のおん前に手をつき、
「何ということでしょう。舎利弗長老が入滅されました」
と申し上げます。世尊は、
「嘆くことはない。すべては移り変わるのがこの世の定めではないか」
と慰められましたが、しかし、そのお顔はさすがに曇ってみえました。世尊はマハーチュンダに向かって、
「マハーチュンダよ。その遺骨をわたしの掌の上に乗せておくれ」
とおっしゃいました。
マハーチュンダが恐る恐る進み出て舎利弗の遺骨をお手の上に乗せますと、お釈迦さまはそれを大勢の比丘たちに示しながら、
「これが数日前までそなたたちに法を説いた大智舎利弗である。わたしの子の遺骨である。よく見ておくがよい」
とおっしゃるのでした。
人間味あふれるそのお言葉に、泣かない比丘はありませんでした。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎