人間釈尊(30)
立正佼成会会長 庭野日敬
霊鷲山での世尊と阿難
洞穴で相通じていた居室
霊鷲山にお詣りするには、旧王舎城跡(今はジャングル化している)を南北に走る本道から分かれ、いわゆる頻王道(ひんおうどう=ビンビサーラ王が造ってさしあげた登山道)をあえぎあえぎ登っていくのです。その頂上近くに阿難窟という石窟があります。阿難が座禅・瞑想の修行をした場所です。
頂上の狭い平地にはお釈迦さまのお住まいのご香室があり、今はその基壇のみが残っていますが、わずか四坪ばかりの一室の趣です。
ところで、阿難窟はご香室のちょうど真下に当たり、頂上の北側の巨岩の中から洞穴が阿難窟のすぐ近くにまで通じているのです。
そうした配置から推察しますと、阿難は、昼間はご香室にいてお身の回りのお世話をし、また、頂上からやや下の南側にある平地で大衆に法華経や無量寿経などの説法をなさるときもおそばにいて聴聞し、夜になると自分の石窟に下がって、一人、修行したもののようです。
大鷲に脅された阿難を
その付近には獰猛な大鷲がたくさんおり、虎もよくうろついていました。現代になってもやはり虎が出没し、高楠順次郎博士が踏査に行かれたときも、虎のうなり声を聞いて急ぎ行動を中止されたこともあるそうです。
阿難は温順で優しい性格だった半面、剛毅さに欠けていました。恐怖心も俗人並みで、自分でもそれを反省していたらしく、中阿含経第四七に次のような記述があります。
阿難が一人静かな所で黙想しているとき、こう考えました。「恐怖というものは智慧の至らなさから起こるのではないか。智慧が明らかであれば恐怖は起こらないのではないか」。そこでお釈迦さまのもとへ行き、そのことを申し上げると、お釈迦さまは、
「よくそこに気がついた。ごく小さな枯れ草から起こった火が大きな楼閣をも焼きつくすように、真理を知らぬ迷いから恐れや不安や憂いが起こる。過去に対する悔恨も、現在に対する憂慮も、未来に対する不安も、すべて真理を知らぬことから起こるのである」とおおせられた、とあります。
さて、ある夜更けに霊鷲山の石窟で阿難が瞑想をしていますと、魔王がその修行を妨げようとして巨大な鷲の姿となって洞窟の入り口の岩に止まり、大きな翼を羽ばたいてものすごい音を立て、闇をつんざくような叫び声をあげました。
阿難は恐ろしさのあまり、身がすくみ、ブルブル震えるばかりでした。そのとき、世尊は頂上のご香室にあられましたが、神通力をもって洞穴を通じて阿難の頭を撫でられ、「これは魔王の脅しに過ぎない。少しも恐れることはないのだ。そなたの心が恐れさえしなければ、魔王すら何も危害を加えることはできないのだ」と、おおせられました。
そのご一言で、阿難はすっかり心身の落ち着きを取り戻し、再び瞑想の修行に戻ることができた……と、『大唐西域記』に記されています。
お釈迦さまは常に理性的な教えによる教化を旨としておられましたが、まだ悟りを開いていない者に対しては、時と場合によってはこのように神通力をもって慈愛の手を差し伸べられたのです。
とりわけ阿難に対してはそのような事例が多く、追って二、三紹介しますが、そういうところにお釈迦さまの人間性の豊かさと大きさがうかがえるように思われるのです。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎
立正佼成会会長 庭野日敬
霊鷲山での世尊と阿難
洞穴で相通じていた居室
霊鷲山にお詣りするには、旧王舎城跡(今はジャングル化している)を南北に走る本道から分かれ、いわゆる頻王道(ひんおうどう=ビンビサーラ王が造ってさしあげた登山道)をあえぎあえぎ登っていくのです。その頂上近くに阿難窟という石窟があります。阿難が座禅・瞑想の修行をした場所です。
頂上の狭い平地にはお釈迦さまのお住まいのご香室があり、今はその基壇のみが残っていますが、わずか四坪ばかりの一室の趣です。
ところで、阿難窟はご香室のちょうど真下に当たり、頂上の北側の巨岩の中から洞穴が阿難窟のすぐ近くにまで通じているのです。
そうした配置から推察しますと、阿難は、昼間はご香室にいてお身の回りのお世話をし、また、頂上からやや下の南側にある平地で大衆に法華経や無量寿経などの説法をなさるときもおそばにいて聴聞し、夜になると自分の石窟に下がって、一人、修行したもののようです。
大鷲に脅された阿難を
その付近には獰猛な大鷲がたくさんおり、虎もよくうろついていました。現代になってもやはり虎が出没し、高楠順次郎博士が踏査に行かれたときも、虎のうなり声を聞いて急ぎ行動を中止されたこともあるそうです。
阿難は温順で優しい性格だった半面、剛毅さに欠けていました。恐怖心も俗人並みで、自分でもそれを反省していたらしく、中阿含経第四七に次のような記述があります。
阿難が一人静かな所で黙想しているとき、こう考えました。「恐怖というものは智慧の至らなさから起こるのではないか。智慧が明らかであれば恐怖は起こらないのではないか」。そこでお釈迦さまのもとへ行き、そのことを申し上げると、お釈迦さまは、
「よくそこに気がついた。ごく小さな枯れ草から起こった火が大きな楼閣をも焼きつくすように、真理を知らぬ迷いから恐れや不安や憂いが起こる。過去に対する悔恨も、現在に対する憂慮も、未来に対する不安も、すべて真理を知らぬことから起こるのである」とおおせられた、とあります。
さて、ある夜更けに霊鷲山の石窟で阿難が瞑想をしていますと、魔王がその修行を妨げようとして巨大な鷲の姿となって洞窟の入り口の岩に止まり、大きな翼を羽ばたいてものすごい音を立て、闇をつんざくような叫び声をあげました。
阿難は恐ろしさのあまり、身がすくみ、ブルブル震えるばかりでした。そのとき、世尊は頂上のご香室にあられましたが、神通力をもって洞穴を通じて阿難の頭を撫でられ、「これは魔王の脅しに過ぎない。少しも恐れることはないのだ。そなたの心が恐れさえしなければ、魔王すら何も危害を加えることはできないのだ」と、おおせられました。
そのご一言で、阿難はすっかり心身の落ち着きを取り戻し、再び瞑想の修行に戻ることができた……と、『大唐西域記』に記されています。
お釈迦さまは常に理性的な教えによる教化を旨としておられましたが、まだ悟りを開いていない者に対しては、時と場合によってはこのように神通力をもって慈愛の手を差し伸べられたのです。
とりわけ阿難に対してはそのような事例が多く、追って二、三紹介しますが、そういうところにお釈迦さまの人間性の豊かさと大きさがうかがえるように思われるのです。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎