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人間釈尊(29)
立正佼成会会長 庭野日敬

説法を聞きながら切開手術

人間的に愛されていた阿難

 お釈迦さまは、仏陀としては万人・万物に平等な慈悲をお垂れになったことは申すまでもありませんが、人間釈尊としていちばん愛されたのは、常随の侍者阿難ではなかったかと思われます。
 阿難は、お釈迦さまが出家された年に、浄飯王の弟、甘露飯王の子として生まれました。つまり従兄弟(いとこ)に当たるわけです。お釈迦さまが成道後初めて帰郷されてからマガダ国へお帰りになる時、阿那律や提婆と一緒に出家して王舎城へとお供したのでした。その時は十二歳だったといわれています。
 お釈迦さまには、おそばにいて身の回りのお世話をする侍者がおりましたが、あまりにお気に召さず二、三人代わったように伝えられます。ところが、阿難が選ばれてお仕えするようになってからは、主従というより、あるいは師弟というより、親子といったほうがふさわしいほどの間柄になり、入滅されるまでの約二十五年の間、ずっとおそばについていたわけです。
 ですから、仏伝の中でも人間的情愛に富んだエピソードとなると、阿難との間の話が断然多いのです。そのいくつかを紹介してみましょう。

阿難ならではの無痛手術

 阿難は、舎利弗とか、目連とか、摩訶迦葉といった人たちと違って、智慧において格段に鋭いものがあるとか、神通力の持ち主であるとかいった際立った特微はなかったのですが、しかし、法を聞くことの熱心さと、それをよく記憶していることにおいては人並みすぐれたものがありました。
 お釈迦さまが王舎城の竹林精舎におられた時、阿難の背中に大きな腫れものができ、たいへん苦しんだことがありました。
 お釈迦さまは、さっそく名医耆婆(ぎば)を呼んで、治療を命ぜられました。耆婆は患部を診察してから、お釈迦さまにこっそり申し上げました。
 「あの腫れものは切開しなければ治りません。切開には相当な痛みが伴います。世尊や上首の長老がたは、定(じょう=精神統一)に入って痛みを忘れることがおできになりますけれども、失礼ながら阿難尊者にはまだ無理だと存じますが……」
 それをお聞きになった世尊は、しばらくお考えになっておられましたが、やがてこうおっしゃいました。
 「いいことがある。そなたの手術中、わたしが阿難に法を説いて聞かせよう。さあ、手術の用意をしなさい」
 用意ができると、世尊は阿難と差し向かいにお座りになり、説法をお始めになりました。阿難はいつものように目を皿のようにして世尊を見つめ、耳を澄まして一言一句も聞き逃さないように聞き入っています。
 その間に耆婆は阿難の後ろに回りメスをふるって腫れものを切開し、膿(うみ)をすっかり出し、その跡に膏薬を塗って手術を終えました。
 耆婆が手術の完了を目で合図しますと、世尊は、
 「どうだ阿難。いま耆婆がそなたの腫れものを切開手術したが、痛くはなかったか」
 とお聞きになりました。阿難は、
 「えっ、手術したのでございますか。ぜんぜん存じませんでした。痛くもなんともございませんでした」
と申し上げました。
 「そうか。よかった、よかった」
世尊は満足そうにおうなずきになりました。
 なかなか味わい深い話ではありませんか。
 世尊の思いやりの智慧と、名医耆婆のメスさばきと、阿難の聴法の熱心さと、三位一体で成しとげられた無痛手術の一幕でありました。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎

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