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人間釈尊(25)
立正佼成会会長 庭野日敬

魂の修行は一生のもの

自殺した出家修行者は

 ある日、釈尊教団に痛ましい事件が起こりました。それはゴーティカという比丘が刀によって自殺したのです。
 そのときお釈迦さまは王舎城を取り巻く山々の一つ毘婆羅(びばら)山の石室におられ、ゴーティカは反対側の仙人山の洞窟にこもって、ただひとり修行をしていたのでした。
 ゴーティカは非常にまじめで、一途(いちず)な性格の人でした。坐禅・瞑想の行を長いあいだ続け、ついに解脱(げだつ)の境地に達したのですが、しばらくのうちにまた煩悩がわき起こり、心をかき乱したのでした。
 そこで再び懸命の修行に入りました。次第に心が澄み渡り、また解脱の境地に達しました。しかし、それも長続きせず、またまた心は迷いの黒雲に覆われるのです。このようにして、七度目の解脱を自証したとき――もはやこれ以上退転することがないよう、この澄みきった心のままに死のう――と決心したわけです。
 その付近の欲界を支配していた悪魔は、急いでお釈迦さまのもとへ行って彼の心境を告げ、自殺を思いとどまらせるよう進言しました。が、その間にゴーティカは自殺を遂げてしまいました。お釈迦さまは、
 「悪魔は人の心に放逸を吹きこむ存在であり、自分の支配下からゴーティカが脱出するのを嫌って、わたしの所へやって来たのだ。しかし、ゴーティカはすべての愛欲を断除したまま涅槃に入ったのである」
 とおおせられました。
 そして、多くの比丘たちを引き連れてゴーティカが住んでいた洞窟へ赴かれました。すると、彼の遺体の周りには黒い煙のようなものが立ちこめています。
 お釈迦さまは、
 「あの煙を見よ。悪魔がゴーティカの魂をとりこにしようと探し求めている姿である。しかし、どう探し求めようとも彼の魂をとらえることはできないであろう」
 とおおせられ、ゴーティカに記別(仏になるという保証)を授けられました。(これはお釈迦さまの言動と初期の教団のありさまを、比較的忠実に記録した雑阿含経巻三三に明記されており、事実あったことと思われます)

布教行で救われる

 ここで絶対に誤解してならないのは、一般の自殺そのものをお認めになったのではないということです。ゴーティカの場合は、純粋に(魂)の問題なのです。人間の理想的な死は、いささかの濁りもない澄み極まった魂をもってあの世へ移行することです。ですから仏教では、そのような死を(無餘涅槃(残りかすのない完全な安らぎの境地))と呼んでいるわけです。
 この話は――人間は死ぬまでが修行だ。おのれの至らぬところをサンゲしては心と行いを改めていくことの連続だ――という事実を、マザマザと印象づけるために伝え残されたのではないかと思われます。
 ところで、ゴーティカは出家修行者ですから、独座の修行で無餘涅槃にまで行きついたのですが、普通の生活をしながら仏道を求める者(菩薩)は、とてもそういうわけにはいきません。そこでお釈迦さまは六波羅蜜をお説きになったのです。とりわけその第一に(布施)をお置きになったのです。
 他のために親切をつくす。人を救うために法を説く。社会のために奉仕する。そういう行いを続けているうちに魂は次第に清められ、煩悩がかえって菩提に変わっていく――と説かれたのです。ここが大乗仏教のありがたいところなのであります。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎

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