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人間釈尊(24)
立正佼成会会長 庭野日敬

以心伝心の妙境

迦葉を出迎えられた世尊

 前回にお釈迦さまと摩訶迦葉との間の深い信頼関係について述べましたが、このお二人の魂の交流はお互いが全く未知の間柄だったときに芽生えたという不思議な事実があります。
 摩訶迦葉は王舎城に近い村の生まれで、生家は財力においては国王のビンビサーラ王にもまさるくらいの大富豪だったといいます。そういう家に生まれ、何不自由のない身分でありながら、小さいときから出家の志を持っていたのです。やはり前世からの因縁があったのでしょう。
 両親は、せっかくの男の子に出家されてはたまらないと思い、むりやりに嫁を持たせたのでしたが、その嫁がまた強い求道の志を持つ女性だったのです。二人は結婚後も夫婦とは名ばかりで、お互いに励まし合って精神的向上を目指す生活を十二年間も続けました。
 そして、ある日ついに意を決し、二人はそろって出家したのでした。夫の迦葉は王舎城の方へ、妻のバドラーはコーサラ国舎衛城の方へ、別れ別れに求道の旅へ出かけました。
 さて、霊鷲山におられたお釈迦さまは、迦葉が王舎城に向かって旅して来ることを予知され、十キロぐらいの途中までわざわざ出迎えに出られたのです。迦葉が道端の一本のニグローダ樹の前を通りかかりますと、全身から黄金色の光を発した、見るからに尊げなお方が端座しておられます。迦葉は瞬間的に――ああ、このお方こそわが求める師である――と直感しました。と同時にお釈迦さまのほうでも、
 「迦葉よ。よく来られた。ここにすわられるがよい」
 と声をかけられました。お二人の歴史的な出会いは、こうした以心伝心の妙境のうちに遂げられたのでした。

禅宗第一の祖師となる

 お二人の以心伝心には、「拈華微笑(ねんげみしょう)」という有名な話があります。
 お釈迦さまが霊鷲山で大勢の比丘を集めておられたとき、大梵天王が黄色い花一輪を捧げて説法をお願いしました。お釈迦さまはその花を受け取られると、それをグッと聴衆のほうへ差し出されました。みんなは何を言い出されるだろうかと、シーンと静まり返っていたのですが、一言も発せられません。
 世尊は黙ったまま大勢の比丘をひとわたり見回されましたが、摩訶迦葉と視線が合ったとたんに迦葉はニッコリ微笑しました。世尊は満足そうにおうなずきになり、次のように仰せられたのです。
 「我に正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)、涅槃妙心(ねはんみょうしん)、実相無相、微妙(みみょう)の法門あり、不立文字(ふりゅうもんじ)、教外別伝(きょうげべつでん)、摩訶迦葉に付嘱(ふぞく)す」
 このお言葉の意味は大体次のとおりです。
 「わたしには一切の悟りを秘めた正しい智慧の蔵がある。すべての現象の奥に大調和のすがた(涅槃)を見る言うに言われぬ安らかな心、それは宇宙の実相を明らかにとらえる智慧ではあるが、決まった形式を持ったものではない(無相)、それは言葉でも文字でも教えられない(教外別伝)ものである。この微妙な教えを、摩訶迦葉よ、そなたに一任します。これをよく護り、後世に伝えなさい」
 禅宗では、無言の説法を無言の微笑で受け取ったこのやりとりを非常に大切にし、摩訶迦葉を世尊の悟りを伝える第一の祖師としているのです。
 今日の社会には情報がはんらんし過ぎて、魂と魂が的確に交流するこのような人間関係が失われつつあるのは残念でなりません。師弟の間でも、家族の間でも。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎

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