人間釈尊(18)
立正佼成会会長 庭野日敬
五比丘より先に在家の信者
最初の信者は商人だった
世尊は悟りを開かれてから四十九日の間菩提樹下やあたりの林の中で静かに悟りの喜びをかみしめておられましたが、その間にいろいろなことが起こりました。
第二週目に一人のバラモンが通りかかり、問答をしかけました。
「あんたはバラモンでもないのに、そんな姿をしている。どうしてだい」
世尊は答えられました。
「バラモンとは生まれによるものではない。その人の徳性によってバラモンと呼ばれるかどうかが決まるのだ」
傲慢なそのバラモンは、フフンと鼻で笑って行ってしまいました。世尊の第一番目の弟子となるべきチャンスを、傲慢さのゆえに逃がしてしまったのでした。
そのチャンスをつかんだのはタプッサ、パッリカという二人の旅の商人でした。成道されてから七週目のことです。何台もの牛車に商品を積んで林の中を通っていますと、先頭の牛が急に立ち止まって動こうとしません。不思議に思っていますと、林の神が現れてこう告げたというのです。
「心配することはない。ゴータマ・ブッダという尊師がこの林の中におられる。四十九日のあいだ何も召し上がっておられない。行って麦菓子と蜜団子を差し上げなさい。そのお布施は長年月の間そなたたちに利益と安楽をもたらすだろう」
二人はさっそく世尊をさがし出し、麦菓子と蜜団子をご供養しました。世尊は石の鉢でそれをお受けになり、召し上がってくださいました。二人は世尊の両足に額をつけて礼拝し、
「尊いお方よ。わたくしどもは世尊と世尊の教えに帰依いたします。どうかわたくしどもを在俗信者としてお認めください」
世尊はおうなずきになり、人間としての生き方をわかりやすくお説きになりました。二人は喜びを満面に現しながら、ふたたび世尊の両足を拝しました。
「よろしい。そなたたちが仏と法に帰依したことを認めます」
出家修行者としてお弟子となったのは(初転法輪)のときの五比丘ですが、それより先に在家の者がまず信者になったこと、これは後世のわれわれにとって大いに考えさせられる事実です。
次に女性が在家信者に
右の事実は『五分律』巻十五に明記してありますが、つづいて女性の信者も現れたことが述べられています。
世尊はかつて六年のあいだ苦行されたウルヴェーラーの村に托鉢され、セナーニーというバラモンの門前に立たれました。すると、その家の娘(先に、苦行をやめた菩薩に乳粥を供養した)スジャータはただちに仏鉢を受け取り、おいしい食物を盛ってご供養しました。世尊はそれをお受けになりますと、
「そなたが仏に帰依し、法に帰依することを許します」
と仰せられました。これが女性の信者としてのナンバー・ワンです。
その後、世尊はたびたびこの家に托鉢され、四人の姉妹みんなに同じ許しを与えられました。
のちに僧伽(サンガ)が出来てからは、三自帰(帰依三宝)が仏教信者としての証(あかし)となりましたが、この時期まではまだ(仏)と(法)への二自帰だったわけです。
それにしても、お釈迦さまとその教えに帰依する真心を表した最初の人間が商人だったこと、その次が四人の女性だったことは、大変重要な事実です。のちにお説きになった六波羅蜜の教えの最初に(布施)をあげられたこととも思い合わせて、大きな示唆を感じとらざるを得ません。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎
立正佼成会会長 庭野日敬
五比丘より先に在家の信者
最初の信者は商人だった
世尊は悟りを開かれてから四十九日の間菩提樹下やあたりの林の中で静かに悟りの喜びをかみしめておられましたが、その間にいろいろなことが起こりました。
第二週目に一人のバラモンが通りかかり、問答をしかけました。
「あんたはバラモンでもないのに、そんな姿をしている。どうしてだい」
世尊は答えられました。
「バラモンとは生まれによるものではない。その人の徳性によってバラモンと呼ばれるかどうかが決まるのだ」
傲慢なそのバラモンは、フフンと鼻で笑って行ってしまいました。世尊の第一番目の弟子となるべきチャンスを、傲慢さのゆえに逃がしてしまったのでした。
そのチャンスをつかんだのはタプッサ、パッリカという二人の旅の商人でした。成道されてから七週目のことです。何台もの牛車に商品を積んで林の中を通っていますと、先頭の牛が急に立ち止まって動こうとしません。不思議に思っていますと、林の神が現れてこう告げたというのです。
「心配することはない。ゴータマ・ブッダという尊師がこの林の中におられる。四十九日のあいだ何も召し上がっておられない。行って麦菓子と蜜団子を差し上げなさい。そのお布施は長年月の間そなたたちに利益と安楽をもたらすだろう」
二人はさっそく世尊をさがし出し、麦菓子と蜜団子をご供養しました。世尊は石の鉢でそれをお受けになり、召し上がってくださいました。二人は世尊の両足に額をつけて礼拝し、
「尊いお方よ。わたくしどもは世尊と世尊の教えに帰依いたします。どうかわたくしどもを在俗信者としてお認めください」
世尊はおうなずきになり、人間としての生き方をわかりやすくお説きになりました。二人は喜びを満面に現しながら、ふたたび世尊の両足を拝しました。
「よろしい。そなたたちが仏と法に帰依したことを認めます」
出家修行者としてお弟子となったのは(初転法輪)のときの五比丘ですが、それより先に在家の者がまず信者になったこと、これは後世のわれわれにとって大いに考えさせられる事実です。
次に女性が在家信者に
右の事実は『五分律』巻十五に明記してありますが、つづいて女性の信者も現れたことが述べられています。
世尊はかつて六年のあいだ苦行されたウルヴェーラーの村に托鉢され、セナーニーというバラモンの門前に立たれました。すると、その家の娘(先に、苦行をやめた菩薩に乳粥を供養した)スジャータはただちに仏鉢を受け取り、おいしい食物を盛ってご供養しました。世尊はそれをお受けになりますと、
「そなたが仏に帰依し、法に帰依することを許します」
と仰せられました。これが女性の信者としてのナンバー・ワンです。
その後、世尊はたびたびこの家に托鉢され、四人の姉妹みんなに同じ許しを与えられました。
のちに僧伽(サンガ)が出来てからは、三自帰(帰依三宝)が仏教信者としての証(あかし)となりましたが、この時期まではまだ(仏)と(法)への二自帰だったわけです。
それにしても、お釈迦さまとその教えに帰依する真心を表した最初の人間が商人だったこと、その次が四人の女性だったことは、大変重要な事実です。のちにお説きになった六波羅蜜の教えの最初に(布施)をあげられたこととも思い合わせて、大きな示唆を感じとらざるを得ません。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎