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経典のことば(66)
立正佼成会会長 庭野日敬

観世音浄聖は 苦悩死厄に於て 能く為に依怙と作(な)れり
(法華経・観世音菩薩普門品)

現実の救いともなる

 依怙(えこ)というのは、「たよりになるもの」という意味です。観世音菩薩は、人間が日常生活のうえでさまざまな苦悩に陥った時ばかりでなく、死に瀕するような災厄に直面した場合でさえ、心の頼りとなるお方だ……という意味です。
 お釈迦さまが「一切皆苦」とお説きになったように、人生に苦はつきものです。とりわけ、老いること、そして死に至ること、これは避けようとしても避けられない絶対の宿命です。しかし、観世音菩薩を念じ、その名を唱え、それと一体となるほどの信仰を持てば、どんな苦に遭ってもそれが苦にならない、そこに救いがあるのだ……というのが唯心的な解釈でしょう。
 ところが、苦を苦としなくなるとそのために気力が充実し、新しい希望がわき起こり、現実の苦の状況を克服することも大いにありうるのであって、こうした実例は多々あります。その最も顕著な例を紹介しましょう。

普門示現の真意ここに

 ユダヤ人の心理学者ビクトル・フランクル博士は、第二次大戦中、あの悪名高いアウシュビッツの強制収容所に入れられ、ろくろく食べ物も与えられず、苛酷な重労働を強(し)いられていました。みんなひどい栄養失調で、次々にバタバタ倒れ、役に立たなくなると容赦なくガス室に送られて殺されました。まさにこの世の地獄でした。
 博士も同じ運命を覚悟していましたが、ある時、最愛の妻への思いが強く浮かび上がりました。――自分がナチに捕えられたあと妻はどうしているのだろうか。きっとどこかでやはり苦しい目に遭っていることだろう――そう思った時、――よし、どうせ死ぬのだったら、妻のために、妻の苦しみを代わって受けることにしよう――という決意が胸につき上げてきたのです。
 そう思い定めると、不思議なことに、自分でも驚くほどの生きる力がわいてきたのです。そして、どんな虐待にも堪えられるようになったばかりでなく、周りの人たちをも元気づけ、勇気を持たせるようになりました。そして、ついに戦争が終わるまで生きのびることができたのでした。
 後に博士は、当時のことを思い出し、どこにいるかわからない妻の存在がどれほど心の支えになったかをつくづく述懐し、「人間がだれかを心から愛し、全く自己を無にしてしまうと、素晴らしい力がわいてくるものだ。しかもその相手は、時間的にも空間的にも全くかけ離れていようと、その効果は同じだ」と、自分の体験に基づいて論断したということです。
 これは一心理学者の説というよりも、むしろ宗教的境地と言っていいでしょう。仏教の説くところと全く一致していると思います。
 ともあれ、この場合の博士にとっては、妻が、そして自分自身が観世音菩薩だったのです。観世音菩薩の徳は大別して二つあるとされています。一つは大悲代受苦(だいひだいじゅく=大慈悲の心をもってひとの苦しみを代わりに引き受ける)であり、一つは施無畏(せむい=恐れのない心を施す)です。観世音菩薩は、まさしく博士の心の中におられたのです。後でわかったことですが、奥さんは同じ収容所の中ですでに死んでおられたのでした。しかし、その奥さんの代わりになろうと思った博士の心が観世音菩薩にほかならなかった……といえましょう。
 つまり、心に慈悲さえ持てば、観世音菩薩はどこにもおられるのです。それが普門示現の真意ではないでしょうか。
題字と絵 難波淳郎

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