経典のことば(65)
立正佼成会会長 庭野日敬
観音妙智の力 能く世間の苦を救う
(法華経・観世音菩薩普門品)
隠された子供の声を聞け
近ごろは、中学校でのイジメがますますひどくなり、自殺する子が次々に出ています。本当に痛ましいことです。
それにはいろいろな原因が考えられますが、ひとつには「教師なり父母なりが子供たちをしっかりと見ていない」ということがあると思います。見るということは、すべての物事の基点となるものです。お釈迦さまが説かれた「八正道」にしても、その最初に「正見」が据えられています。
見るということの一番初歩は、現象に現れた相(すがた)を見ることです。ところが、今の教師や父母たちはこの一番初歩の「見」を怠っているのではないでしょうか。子供たちの間に何が起こっているのか、自分の子供は何をしているのか。それさえもしっかり見ていないのではないでしょうか。
現象に現れたものをしっかりと見る努力をすれば、現象の中に隠された微妙なサインも見えてくるようになります。この子は何かに悩んでいるな、何かを訴えようとしているな、ということが見えてくるようになります。教師や父母の眼がそこまで達すれば、事態はずいぶん変わってくるのではないでしょうか。
観世音菩薩は、世間の音を観る菩薩、現象の奥に隠された心の声までも見て取る妙智を持っているお方です。そのような観世音菩薩のものの見方を習うことが、今の教育の危機を救う出発点になるものと思うのです。
心情を養う教育を
さらに大切なのは、標記のことばのあとにある「真観・清浄観・広大智慧観・悲観及び慈観あり」の五観です。とりわけ現在の教育に欠けている最大のものは、悲観であり、慈観であると思います。悲観というのは、子供たちを苦しみから救ってやらねばならぬという切々たる願いです。慈観というのは子供たちに本当の幸せをもたらしてやりたいという情熱です。理屈より何よりこうした心情こそが人を動かし、人間性をつくるのです。
以前に読んだことですが、イギリスの物理学者ファラデーが、ある日、学生たちに一本の試験管を見せて「この中に何が入っていると思うか」と尋ねました。そこにはホンの一粒ほどの透明な液体が入っていました。だれにもわかりません。
ファラデーは、こう語るのでした。「じつはさっき、ある学生の母親が来て、苦しい事情を泣きながら訴えられた。この試験管の中のものは、その母親の流した涙なのだ」。そして、さらに語をついで、「科学を学ぶ諸君は、この涙を分析すれば水分とわずかな塩分であることを知っているだろう。しかし、その涙の中には、科学では絶対に分析することのできない、尊い、深い愛情がこもっているのだ。諸君は、ただ学問を学ぶだけではなく、この尊いものを忘れてはいけないのだよ」と諭したということです。
今の日本の教育は目先の利益につながる知恵一点張りで、妙智がない。そのうえ、悲観もなければ慈観もない。ファラデーが強調した尊いものがない。だから子供たちは人間らしい心情からだんだん遠ざかっていくのです。
今、イジメが深刻になっているのは、ここがポイントの切り替え時だぞ……という啓示だと思います。今こそみんなが本当の智慧(妙智)と慈悲観に立ち戻る時だぞという天の警告だと思います。この警告に従わなければ、どんなに物質的に豊かになろうと、社会は崩壊してしまうでしょう。
題字と絵 難波淳郎