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経典のことば(46)
立正佼成会会長 庭野日敬

善い努力は事の起こる前になすことである。後からなしてもその人を益することがない。
(那先比丘経 巻中)

渇いてから井戸を掘っても

 ミリンダ王が那先比丘に尋ねました。
 「善い行いは、それを必要とする事が起こる前になすべきであろうか。事が起こってからなすべきであろうか」
 それに対して那先比丘は問い返しました。
 「王よ。ノドが渇いたからといって、それから井戸を掘り始めても、渇きを癒すことができますか」
 「それでは間に合わぬ。前もって井戸を掘っておかねばならない」
 「そうでしょう。もう一つ聞きますが、王はお腹がすいたとき、それから人民たちに土地を耕させ、穀物の種を播かせ、それが実ってから食べますか」
 「もちろん、つねに時期々々に種を播き、収穫しておかねばならない」
 「そうでしょう。ですから、善い行いは事の起こる前にしなければなりません。事が起こった後からしたのでは、その人を益することはないのです」
 このやりとりから判断しますと、この善い行いというのは、善い努力、正しい努力という意味でしょう。困っている人を助けるというような善行なら、事が起こってからなすのが普通ですから。

事前の努力は地味だが

 野球の名野手は、味方のピッチャーの投げる球と、相手のバッターの打球のクセをあらかじめ察知して守備位置を変えます。ですから、平凡なプレーヤーならヒットにしてしまう打球をも難なく処理します。
 ラグビーのフォワードの名選手は、どんな混戦の中でも必ずボールの近くにいるそうです。つねに忠実にボールを追っているからです。ですから、チャンスがあれば鮮やかなトライに結びつけますし、また攻められてもボールを持った相手を確実にタックルします。
 これらは一見地味なようですけれども、こうしたプレーこそが味方を勝利に導くのです。
 人生行路もやはり同じだと思います。異変が起こってからあわてふためいたのでは、収拾は困難です。いつもから忠実にコツコツと努力を積み重ねておれば、自然にゆくての動向が見えてきますから、異変に対してもあらかじめそれを察知して身を処することができます。
 また、すばらしいチャンスが訪れた場合にも、それをガッチリつかんでものにすることができます。平常の絶えざる努力が、目に見えぬ準備態勢をととのえているからです。
 反対に、絶好のチャンスがやってきても、それをつかみ、その流れに乗るほどの力が蓄積されていなければ、せっかくの好機をみすみす逃がしてしまわなければなりません。
 国家の運命についても、同じことが言えましょう。何よりも基礎固めが必要なのです。しっかりした基礎固めのできていない国家は、一時は好運に恵まれて繁栄しても、いつしか砂の城のように崩れ去ってしまうことは、歴史が証明しています。
 では、国家の基礎固めは何かといえば、教育を第一に挙げるべきでしょう。次代を担う青少年を、正しい、心の豊かな、創造力に富んだ、そして真理に忠実な人間に育てていくことです。
 これをおろそかにしたら、経済大国日本のゆくても安心してはおられません。異変はいつ起こるかわからないのです。
 まことに那先比丘が言ったように「善い努力は事が起こる前になすことである」のです。
題字と絵 難波淳郎

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