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経典のことば(34)
立正佼成会会長 庭野日敬

穀食を得んと欲せばまさに耕種を行うべし。
 大富を得んと欲せばまさに布施を行うべし。
 長命を得んと欲せばまさに大慈を行うべし。
 智慧を得んと欲せばまさに学問を行うべし。
(法句譬喩経第一)

多数の犠牲で一人の命を

 和黙王(わもくおう)の国は辺境にあって、まだお釈迦さまの教化に浴していませんでした。邪法が幅をきかせ、祭祀といえば動物をいけにえとして神にささげるのが一般の風習でした。
 たまたま王の母君が大病にかかり、あらゆる手を尽くしましたがどうしても治りません。そこで国中のバラモン二百人を呼び集め、最後的な治癒の方法を考究させました。ところがその結論としてこう答申したのです。
 「城外の清らかな場所を選んで、日・月・星をまつり、百頭の家畜と一人の小児を殺して天にささげ、王おんみずから祈祷されることです」
 王はさっそく象・馬・牛・羊百頭を集め、一人の子供と共に城外にしつらえた祈祷場へと追い立てました。動物たちは悲鳴をあげて後ずさりし、子供を見送る両親はもとより、他の人びとも声をあげて泣き叫び、生き地獄さながらの光景を現出したのでした。
 神通力によってこのありさまを知られたお釈迦さまは、哀れな多くの生命を救い、王の頑迷を改めさせようと、弟子たちを引き連れてその場におもむかれました。
 王はお釈迦さまの光り輝くようなお姿に打たれ、思わず車から降り、ひざまずいて手を合わせて礼拝しました。あらためて王から一部始終をお聞きになったお釈迦さまは、
 「王よ、まあお聞きなさい。穀物を得ようとすれば田畑を耕して種子を播かなければなりませんね。それと同様に、大きな富を得ようと欲するならばまず布施をすることです。長寿を得ようと願うならば慈悲の行いをすることです。智慧を得ようとするならば学問をすることです。このように、よい種子を下ろせば必ずよい結果が生ずるのが真理の法則なのです。多くの生きものを殺して一人の命を救おうとしたところで、よい報いを得られるはずがありません」
 と、じゅんじゅんとお説き聞かせになりました。王はたちまち自分の過ちを悟り、お弟子に加えていただきたいとお願いして許されました。病気の太后もその教えを聞いて感銘し、ほどなく快癒することができました。

来世まで続く因果の法則

 この経文を読んですぐ浮かんでくる連想は、近ごろまたひん発するようになった爆弾テロや航空機乗っ取りの非道さです。わずかばかりの仲間を助けるために、不特定多数の人びとの生命を犠牲にするなど、これほど大きな罪悪は他にありますまい。まったく無関係の人をムシケラのように殺してはばからぬその非人間性は、人類の将来に絶望感さえ覚えさせるものがあります。
 いいえ、やはり絶望してはなりますまい。唯一の救いとして仏教があります。人間の最高の属性として慈悲を説き、最高の行為として布施を説く仏教。そして善因善果・悪因悪果の法則がこの世限りのものでなく、輪廻転生のあの世まで厳として存続することを説く仏教。これを根気よく世界の人びとの脳裏に植えつけてこそ、人類は生き長らえることができるものと信じます。
題字と絵 難波淳郎

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