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経典のことば(25)
立正佼成会会長 庭野日敬

もろもろの飲食(おんじき)を受くることはまさに薬を服(の)むが如くすべし。好きに於ても悪しきに於ても増減を生ずることなかれ。わずかに身を支うるを得て以て飢渇を除け。蜂の花を取るにただその味のみを取って色香を損ぜざるが如し。
(遺教経)

食物の本来の役目を

 これはサンガの修行者たちに対してお釈迦さまが遺言的に説かれた教えの一節です。
 ――好きな食物は多く嫌いなものは少なく食べるようなことをしてはならない。ちょうど薬を服むような心がけで食事すべきである。薬の目的は病気を治すのが目的なのだから、甘いから苦いからといって増減してはならないのと同様である。飲食物は身を支え、飢渇を除くのが本来の役目である。蜂が花の蜜を取るのに蜜だけを吸って花の色香を損じることがないのを見習わなければならない――という戒めです。
 これはもちろん托鉢によって食物を受ける修行者たちに対する戒めではありますけれども、しかしよくよく考えてみますと、食物というものの根源的な役目をもう一度われわれに考え直させる貴重なお言葉ではないかと思われるのです。
 現在の先進諸国の人々は、ほしいままな飽食にふけっています。とりわけ日本ではその傾向が甚だしいようです。
 しかし、近い将来に人類総飢餓の時代が来るのではないかと心配されていることを忘れてはなりますまい。現にそのきざしはアフリカ諸国に顕著に表れているのです。
 お釈迦さまのお言葉を、われわれは今日の人類への遺戒として受け取るべきではないでしょうか。

どこへ消えた知恵と慈悲

 釈尊教団では、托鉢によって受けた食物は平等に分配され、もし余分があったら町の飢えた人々へ配られたと聞いています。人間として当然の知恵であり、慈悲でありましょう。
 戦前の中国広東に旅行した人の話を聞きますと、一流料理店での宴会ではフカのヒレのスープだけは全部食べ――料理人の腕の最高の見せどころなので、それに敬意を表するため――その他の料理は多少なりと残しておくのが礼儀だったそうです。
 その残りをどうするかといえば、調理のための材料が足りない料理店や、その日の食にありつけない人々に無料で還元される、という仕組みになっていたそうです。まことに数千年の歴史の中で戦乱や凶作のために飢えた経験を数知れず持つ民族の知恵であると感心しました。
 ところが、四月二十六日の朝日新聞には次のような記事が載っていました。
 「年間の売り上げで、外食産業界初の一千億円突破を昨年末果たした日本マクドナルドの銀座八丁目店。ハンバーガーは焼いて十分以内に客のオーダーがないと、ゴミ箱に投げ込まれる。フライドポテトは七分以内。同店では月に平均して、こうした手つかずのハンバーガー四千五百箱、ポテト二百四十キログラムを、月額二十万円を払ってゴミ処理業者に回収してもらう」
 また、ある学校給食調理場の給食日誌の一部も記載されていました。
 「残飯のコンテナ終了。二百リットルのドラム缶三本、イワシ各クラスで十枚前後の残あり、新学期を祝った赤飯、多いクラスで三分の一残る」
 これらを読むとき、標記のお釈迦さまのご遺戒が痛いほど胸に突き刺さるのを覚えざるをえないではありませんか。
題字と絵 難波淳郎

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