経典のことば(15)
立正佼成会会長 庭野日敬
過去を追うことなかれ。未来を念(おも)うことなかれ。過去はすでに捨てられたるなり。未来はいまだ至らざるなり。ただ現在をよく観察すべし。
(一夜賢者経)
クヨクヨが生命力を弱める
標記のことばを読むごとにわたしは、お釈迦さまは偉大な心理学者でもあり、精神身体医学の大家でもあられたのだ! と感嘆せざるをえません。
人間の苦悩の大部分はクヨクヨすることから生じます。心の中にある複雑な固定観念(コンプレックス)から生じます。病気でさえも、その多くが心因性であることを現在の医学は実証しています。標記のことばは、そうした苦悩や病気を治癒し、人間の生命力を回復せしめるすばらしい処方箋だと信じます。
あなたは過去の出来事や、過去における自分のあり方にこだわってはいませんか。「学生時代にもっと勉強していたらもっと出世していただろうに」とか、「あのとき思いきって商売替えをしていたら、今のようにかつかつの暮らしをしなくてすんだのではないか」とか、「あのとき、あの人が、あんな仕打ちをしなかったら……」とか。
過去のことはいまさらどうにもなるものではありません。しかし、人間の心理として、ときどきフッと過去の自分のマイナス面に思いがいくことがありますが、その思い出を深追いするなというのが「追うことなかれ」の真意だと思います。追っていけばついクヨクヨすることになり、それが心身の活力を大いに弱めることになりますから。
恐れるものはやってくる!
次に「未来を念うことなかれ」とありますが、これは未来についての希望や計画をさしているのではありません。「取り越し苦労をするな」という教えなのです。
あなたは、「子供が非行に走るようなことがありはしないか」とか、「夫がガンにでもかかったらどうしよう」とか、「この仕事がこのまま順調にいくだろうか。何かの事情で下向きになり、倒産でも……」などと、現在はなんでもないことを心配してはいませんか。まだ起こってもいない出来事を心に描いてあれこれと考えるのを取り越し苦労といい、これがまた心身に対して大きな悪影響をおよぼすものです。
そればかりでなく、お釈迦さまが「三界は唯心の所現」とおっしゃったように、聖書にも「恐れるものは来る」と説かれているように、強く心に描くものは現実に現れてくるものなのです。ですから、現在ありもしないことを心に描く取り越し苦労ほど愚かなことはないのです。
そこで大事なのは、現在を正しく生きることです。ここに「観察すべし」とあるのは、たんに「しっかり見よ」ということばかりでなく、八正道が「正見」に始まって「正思・正語・正行……」とつながっていくように、「現在を正しく見て正しく生きよ」という教えに違いないと思います。
子供の非行化が気になるなら、現在の家庭のあり方をりっぱにすればいいのです。ガンが恐ろしいならば、食事をはじめとする生活万般を正しくすればよいのです。
現在を正しく生きることは、たとえて言えば、畑によいタネをまき、その日その日に適切な管理をするようなものです。そうすれば、未来にはかならずよい収穫が約束されるのです。「未来」をつくるのは「現在」なのです。
ですから、毎朝起きたら「きょう新しい人生が始まったのだ」と明るい思いを抱き、その一日を精いっぱいに生きてみてください。あなたには必ず幸せが訪れましょう。それが心と生命の法則なのですから。
題字と絵 難波淳郎