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仏教者のことば(48)
立正佼成会会長 庭野日敬

 人間の職種あるいは地位というものが、人間であることに優先してはいけないんだ、ということを心しようではないか。
 東昇・日本(人間が人間であるために)

上に立つ者ほど自戒を

 東昇博士については、前(第二十六回)に説明しましたが、博士は「東ゼミ」と名付ける若人のグループを持っていました。このゼミナールの綱領ともいうべきものが、ここに掲げた言葉です。
 一般の人々の心情として、大臣と名の付く人はなんとなく尊敬し、大学教授といえば無条件に偉いと思い、大会社の社長には一段とていねいにあいさつします。これは自然な、素朴な感情であって、別にとがめることもなければ、批判することもありません。
 問題は尊敬する側ではなく、される側にあるのです。いわゆる「小人」は、人間らしい人間であることより先に、その職種や地位を意識します。あるいはそれを鼻にかけ、威張り、あるいはそれを利用してよくない行為に走ります。
 むかしの人間は、上に立てば立つほどよい意味の誇りを持ち、恥を重んじ、人から後ろ指をさされるような行為を慎みました。ところが、今はどうでしょうか。国政を左右する政治家が利権をむさぼって法網をくぐったり、大学教授の地位を金で買おうとしたり、著名な芸術家が詐欺を働いたり、人間らしさなどまったく地に落ちたという感じがするではありませんか。

仮の世界をも誠実に

 人の一生は長くて百年です。永遠の生命を思えば、一瞬の間です。しかし、一瞬といえどもそれはじつに貴重な一瞬です。それを懸命に、誠実に生き抜くことこそが、人間らしい生き方であって、そうした生き方には職種も地位も一切関係ないのです。
 福沢諭吉翁は、政府がその功労を表彰しようとしたのを断りました。その理由を『福翁自伝』の中にこう書いています。
  政府から、君が国家に尽くした功労をほめるようにしなければならぬというから、私は自分の説を主張して、「ほめるのほめられるのと全体ソリャ何の事だ、人間が人間当たり前の仕事をしているに何の不思議はない。車屋は車を引き、豆腐屋は豆腐をこしらえて、書生(注・学生のこと)は書を読む、というのは人間当たり前の仕事をしているのだ。その仕事を政府がほめるというのなら、まず隣の豆腐屋からほめてもらわねばならぬ。ソンナ事は一切よしなさい」と言って断ったことがある。
 まことに胸のすくような弾呵(たんか)ではありませんか。これに比べると前掲の東博士の言葉は、じつに穏やかな、静かな口ぶりですけれども、それはそれで、胸にしみ入るような温かみと、説得力があります。「……ということを心しようではないか」と言われれば、まったく素直に「そういたしましょう」と随順する気持ちになってきます。これも、仏教徒である博士の人柄のせいでありましょう。
 いずれにしても、その言のとおり、職種よりも、地位よりも、人間であることを優先して生きることがほんとうの生き方であることを、しっかりと悟り、しっかりと実践していきたいものです。
 聖徳太子もおおせられたように、「世間虚仮(せけんこけ)・唯仏是真(ゆいぶつぜしん)」すなわち、現実世界は仮の現れであって、その底にある大生命の世界こそが真実なのです。ですから、仮の世界にとらわれず、しかも仮の現れの世界を誠実に生きることこそが、真実の生命の世界を正しく生きることにほかならないのです。
題字 田岡正堂

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